今朝方、
先日、行いのない信仰は死んだもので出てきた、
ヤコブ書の、
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
が、響いてきた、
自分は、もう、30年近い信仰歴である、
しかし、上の勧め(行いが伴う)に従うなら、
まるで、信仰者ではない、
勝手に、ソー思っていただけで、
信仰者ごっこをしていたに過ぎなかったことが、
今朝方、わかった、
周囲への行動が、自分主体であり、
批判と、さげすみに満ちていた、
それは傲慢のきわみであり、
まさに、羊の皮をかぶった狼に似る、
続きで、
2:19 あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
2:20 ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
2:21 神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。
2:22 アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
2:25 同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。
2:26 魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
ダメだ、
ホントーに、
自分の信仰は、死んでいる、