今日の午前中、
ピーターのクリスマス聖研があった、
先日、スペインへ行った際の証を交えて、
現地で、与えられた3つの言葉から、その解説、
3つの言葉とは、
「この響きの中、
すべてのものはよみがえる、」
「お前たちの賛美が、
地の下のものたちを、
御座の前に引き上げるのである、」
「被造物は、人の賛美の声を待っている、
共に賛美するものとなるためである、」
それぞれ、興味深いが、
特に最後の言葉について、関連聖句を掲げる、
ロマ書8章(19-23)から
8:19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
8:20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
8:22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
実は、今日、ジムで、
又しても、腰の違和感に対し、祈っているとき、
この箇所が浮かんできた、
被造物全体が、
体のあがなわれることを望んでいる、
この被造物とは、
決して、人間だけではない、
すべてである、
この地上にあるものすべてである、
で、ドーしたかと言うと、
腰よ、主を賛美せよ、
左の骨盤よ、主をほめよ、
股関節よ、主を賛美せよ、
殿筋よ、主をほめよ、
およそ、腰痛に関連しているであろうと思われる、
自分のパーツ(部位)に向かい、
主を賛美せよ、を呼びかけた、
これ、実は、
(先日から、始めていて、)
今日が初めてではない、
ガンも賛美したがっている
続)主を賛美せよ、腰痛は日常的だが回復も日常的
しかし、今日のは、
少し、以前とは違った、
体のパーツは、各々が生きており、
各々が役目を持っていること、
そして、そのこと(事実)が、
自分の中で、確信に満ちていた、
と言ったらいいか、
体の各パーツは、
あがなわれるのを待つと同時に、
各自は、主をも賛美したがっている、
腰痛をもたらしているパーツは、
何か不具合、不調和があるのだから、
主に向いて、共に主を賛美すれば、回復するに違いない、
という思いが来た、
その結果、ドーなったか、
左の股関節付近にあった違和感が、
見事に、和らいでくれた、
*ここの箇所は、致命的ではないが、
数年前にあった左足の引き攣りの後遺症で、
(体側を横に曲げると出てくるところの、)
違和感がとれなかった箇所である、
コー言う体験は、
文句なく、楽しい、
何よりも、
すべての被造物が、と言う表現に、
本当に、腰や、殿筋、股関節、骨盤と言った、
体の各パーツが含まれていたことに、
そして、実際、主をほめよの呼びかけに、
各パーツが反応してくれたことに、