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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.13
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カテゴリ:正岡子規

 
   施餓鬼舟向ふの岸はなかりけり(明治25)
   水底の亡者やさわぐ施餓鬼舟(明治25)
   淋しさや施餓鬼のあとの火の光(明治28)
   水の音施餓鬼涼しき灯影哉(明治31)
   門前の川に灯ともす施餓鬼哉(明治31)
   夜更けて施餓鬼の燈籠流しけり(明治31)
   石佛に水をかけたる施餓鬼哉(明治33)
   朝顏ノ盛過ギタル施餓鬼カナ(明治35)
 
 明治34(1901)年9月2日の『仰臥漫録』には「松山木屋町法界寺の鰌(どじょう)施餓鬼とは路端に鰌汁商う者出るなりと。母なども幼き時祖父どのにつれられ弁当持て往てその川端いて食われたりと。もっとも旧暦26日頃の闇の夜のことなりという。
   餓鬼も食へ闇の夜中の鰌汁
 午後八時腹の筋痛みてたまらず鎮痛剤を呑む。薬未だ利かぬ内筋ややゆるむ。母も妹も我枕元にて裁縫などす。三人にて松山の話、ことに長町の店家の沿革話いと面白かりき」と書いています。
 
 従来なら、施餓鬼は盆の行事として行われるのですが、法界寺の鰌施餓鬼は8月25日に行われます。
「施餓鬼」は、餓鬼のために食事を施して供養することです。特定の先祖への供養ではなく、生前に悪行を働いたために餓鬼道に堕ちた人間たちは、常に食べものを求めて彷徨い苦しむと言われています。そうした餓鬼のために、食べ物をふるまって善徳を積むことが推奨され、お寺で一切の諸精霊に対して供養が修されます。これは、平安時代以降行われる法会で、非業の死を遂げた死者の魂や祀り手のいない無縁仏が祟りをなすといわれていたため、そうした御霊と餓鬼が結びついて供養が行われるようになったのでした。
 

 
 施餓鬼の供物は、サトイモや柏の葉に飯屋刻んだ野菜を載せた簡単なもので、これを「餓鬼の飯」と呼びます。また、こうした供物には橋が添えられない地域もあります。
 水死人の霊を弔う施餓鬼供養を「川施餓鬼」といい、夏の時期に河原や川のなかで行なわれます。水中に卒塔婆を立てたり、供物や戒名を書いた紙を流します。その際、無数の紙灯篭を流して盆に来た精霊たちをあの世へと送り返すのです。
 
 子規が、亡くなる年に書いた『煩悶』という随筆には、まるで餓鬼道に堕ちたような子規の苦悶が描かれています。しかし、この口調は、まるで落語のようで、戯作調。自らの餓鬼道に落ちるような不幸を、客観視して笑い飛ばそうという腹づもりなのでしょう。まるで施餓鬼のように、自らの罪をほおっておいて、餓鬼道に堕ちた魂に供物を捧げるようなものなのかもしれません。
 
 時は午後八時頃、体温は卅八度五分位、腹も背も臀も皆痛む、
 アッ苦しいナ、痛いナ、アーアー人を馬鹿にしているじゃないか、馬鹿、畜生、アッ痛、アッ痛、痛イ痛イ、寝返りしても痛いどころか、じっとしていても痛いや。
 アーアーいやになってしまう。もうだめかな。もういかんや。ほんとうに人を馬鹿にしとる。いやになっちまうな。いやになりんすだ。いやだいやだも………だっていやがらア。衣、骭(かん)に――到いたり――か、天下の英雄は眼中にあり――か。人を馬鹿にしてるな。そりゃ、聞えません伝兵エサンと来るじゃないか。三吉一つ歌って見や。アイアイ。そんなことじゃなかったよ。坂、坂は照る照る鈴、鈴鹿は曇る、あいのあいの土山雨がふる、ヨーヨーと来るだろう。向うの山へ千松がと来るだろう。そんなのはないよ。五十四郡の思案の臍と来るよ。思案の臍とはどんな臍だろう。コイツは可笑おかしい、ハハハハハ痛い痛い痛い横腹の痛みをしゃくッて馬鹿に痛いよ。しかし思案の臍という臍が五十四郡に一ぱい並んでおると思うと馬鹿に可笑しい。しかもその臍の上に一つずつ土瓶が掛けてあってそれが皆茶をわかしておると思うといよいよ可笑しい。臍があってその上に蜘がぶら下っておるというのは分るかい。へそくも今夜は来るであろサ。おそくも今夜はのしゃれだよ。そんな奴ならいくらもあるよ。笊の中に子供を入れたので、ざる餓鬼やざる柿サ。閻魔様が舌を出してその上に石を載せてる処はどうだ。閻魔舌の力持サ。古いネ。お話が古くなっていけないというので墨水師匠などはなるたけ新しい処を伺うような訳ですが、手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒、左右に女、ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないとうまくないということで、私などの汁粉党には一向分りませんが、ゲーッアー愉快愉快。一歩は高く一歩は低くと来らア。何でも家がぐらぐらして地面が波打っていやがらア。ゲー酒は百薬の長、憂いの玉箒、ナンテ来らア。これでも妻君が内に待ってるだろうッちゅうので折詰を持って帰るなどは大ていなことじゃないよ。嚊(かかあ)大明神もっとも少々焼いて見るなぞは有難いな。女房の焼くほど亭主持てもせず、ハハハハハ。これでも今夜帰ると、ゲー、嚊大明神きっと焼くよ。あなた今夜どこで飲みましたよ、位いうだろう。どこで飲んだ、どこで飲んだもねえものだ、おれが飲む処は新橋か柳橋、二重橋から和田倉橋、オットそいつはからくりだよ、何、今夜はね柳橋でね小紫をあいかたで飲みましたよ。オヤ小紫ですってそれなら柳橋じゃない吉原でしょう。ナーニ柳橋にも小紫というおいらんがありますよ。スルト、嚊め柳橋においらんがありますか、そりゃ始て聞きました。それでは柳橋の何屋に、などと来るだろう。柳橋の三浦屋サ先日高尾が無理心中をしたその跡釜へ今日小紫を抱えたのサもっとも小紫は吉原の大文字にいたのだが昨日自由廃業したと、チャント今朝の『二六』に出ているじゃないか、とまじめにいうと、アラいやだよ人を馬鹿にしてる、あなたはきっといい処があってそこで……くやしいッていうので枕か何かにくいつくよ、きっと。そうすると物になるね。鬢のほつれは枕のとが――よ――とおいでなさる、それをお前にとが――め――………。クヤクヤ貴様は何じゃ、往来で大声放歌はならんちゅう位の事は心得ておるじゃろう。どうも恐れ入りましてございます。恐れ入ったではいかんじゃないか。恐れ入りましてございます。貴様姓名は何というか。へ私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助と申します、どうかお見知りおかれて御別懇に願います。まだ無礼な事申しちょるか。恐れ入りました。見受ける処がよほど酩酊のようじゃが、うちには女房も待っちょるだろうから、早う帰ってはどじゃろうかい。有り難うございます。………世の中に何が有難いッてお廻りさん位有難い者はないよ。こんな寒い晩でも何でもチャント立って往来を睨にらんで、何でも怪しいものと見とめると、クヤクヤ貴様は何じゃ、とおいでなさる、私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助でございます、と来ると、見受ける処よほど酩酊のようじゃが内には女房も待っちょるじゃろうから早う帰ってはどじゃろかい、とおいでなさる。どじゃろかい、とおいでなさる処が有難い、お廻りさんがあんなにおっしゃるから早く帰ってこの折詰を女房にくわせてはどじゃろかい。(煩悶)





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最終更新日  2018.08.13 00:10:06
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