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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.24
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カテゴリ:正岡子規

 
 明治35年8月21日、杉山一転(一二)に送った子規の封書には、どきりとする句が書かれています。
   病む人が老いての恋や秋茄子
 その前書きにナスへのお礼があり、「今日は思わぬ恋の失望に朝来煩悶致居候」とあるのです。
 
 8月24日の『病牀六尺』には「実は渡辺さんのお嬢さんがあなたにお目にかかりたいというのですがと意外な話の糸口をほどいた。そうですか、それはお目にかかりたいものですが、というと、実は今来て待っておいでになるのです、といわれたので、余はいよいよ意外の事に驚いた。そのうち孫生は玄関の方へ出て行て何か呼ぶようだと思うと、すぐその渡辺のお嬢さんというのを連れて這入って来た。前からうすうす噂に聞かぬでもなかったが、固より今遇あおうとは少しも予期しなかったので、その風采なども一目見ると予かねて想像しておったよりは遥かに品の善い、それで何となく気の利いている、いわば余の理想に近いところの趣を備えていた。余はこれを見るとから半ば夢中のようになって動悸が打ったのやら、脈が高くなったのやらすべて覚えなかった。お嬢さんはごく真面目に無駄のない挨拶をしてそれで何となく愛嬌のある顔であった。こういう顔はどちらかというと世の中の人は一般に余り善くいわない、勿論悪くいうものは一人もないが、さてそれだからというて、これを第一流に置くものもない、それで世人からはそれほどの尊敬は受けないのであるが、余から見るとこれほどの美人=美人というとどうしても俗に聞えるが、余がいう美人の美の字は美術の美の字、審美学の美の字と同じ意味の美の字の美人である=は先づいくらもないと思う。ただ十分なことをいうと少し余の意に満たない処は、つくりがじみ過ぎるのである。勿論極端にじみなのではない、相当の飾りもあってその調和の工合は何ともいわれん味があるが、それにもかかはらず余は今少しはでに修飾したらば一層も二層も引き立って見えるであろうと思う。けれどもそれは余り贅沢過ぎた注文で、否むしろ無理な注文かも知れぬ。これだけでも余の心をして恍惚となるまでにするには十分であった」と思うほどでした。
 そして「今帰りかけておる孫生(鈴木芒生)を呼び戻して、私ひそかに余の意中を明してしもうた。余り突然なぶしつけなこととは思うたけれども、余は生れてから今日のように心をなやましたことはないので、従ってまた今日のやうに英断を施したのも初めてであった。孫生は快く承諾して、とにかくお嬢さんだけは置いて行きましょうという。それから玄関の方へ行て何かささやいた末にお嬢さんだけは元の室へ帰って来て今夜はここに泊ることとなった。そのうち日が暮れる、飯を食う、今は夜になると例の如くに半ば苦しく半ば草臥れてしまう。お嬢さんと話をしようと思うているうちに、もう九時頃になった。九時になると、少し眠気がさすのが例であるが、とにかく自分だけは蚊帳を釣ってもろうて、それからゆっくりと話でもしようと思うている処へ郵便が来た。それは先刻孫生に約束して置いた「百人豪」とかいう本をよこしてくれたので、蚊帳の中でそれを読み始めたが、終に眠くなって寐てしもうた」子規なのでした。
 翌朝起きてみると、孫生からの手紙が届いています。「手紙を開けて読んでみると、昨日あれから話をしてみたが誠によんどころないわけがあるので、貴兄の思うようにはならぬということであった。しかしお嬢さんは当分のうち、貴兄のうちに泊っておられても差支ないというのである。失望といおうか、落胆といおうか、余は頻に煩悶を始めた。到底我掌中の物でないとすれば、お嬢さんにもいっそ今帰ってもらつた方がよかろう。一度でも二度でも見合ったり話し合ったりするほど、いよいよ未練の種である。最早顔も見たくない、などと思いながら孫生、快生(伊東牛歩)へ当てて一通の返事を書いてやった。その返事は極めて尋常に極めておとなしく書いたのであったが、何分それでは物足りないように思うてまた終りに恨みの言葉を書きて
   断腸花つれなき文の返事かな
と一句を添えてやった。それから何をするともなく、新聞も読まずにうつらうつらとしておったが、何分にも煩悶に堪えぬので、再び手紙を書いた。いうまでもなく孫生、快生へ当てた第二便なので今度は恨みを陳のべた後に更に何か別に良手段はあるまいか、もし余の身にかなうことならどんなことでもするが、とこまごまと書いて
   草の花つれなきものに思ひけり
という一句を添えてやった。それでその日は時候のためか何のためか、とにかく煩悶の中に一日を送つてしもうた。
 その次の日、小さな紙人形を写生してしもうた頃、丁度午後の三時頃であったろう、隣のうちの電話は一つの快報をもたらして来た。それは孫生、快生より発したので、貴兄の望み通りかのうた。委細は郵便で出す、ということであつた。嬉しいのなんのとて今更いうまでもない」とあり、「嬢さんの名は南岳艸花画巻」で文章はしめられています。
 

 
 子規の恋した相手は、渡辺南岳の「南岳艸花画巻(四季草花図巻)」という画でした。この絵は皆川澄道の持ち物で、子規はこの画を譲ってくれるように頼んだのでしたが、それは果たせませんでした。ただ、子規はその画を預かることにしたのでした。
 
   うまさうに見れば彼岸の燒茄子(明治27)
   秋茄子小きはものゝなつかしき(明治28)
   糠味噌の茄子紫に明け易き(明治29)
   瓜の籠茄子の籠や市の雨(明治32)
   蕗長く茄子の籠の上荷かな(明治32)
   しなびたる茄子まづしき八百屋哉(明治33)
   南瓜の賦茄子の篇や村夫子(明治35)
 
 拝啓。昨日は御光来被下奉多謝候。百人豪早速御迭被下難有候。暫時奔借致置候。扨今朝は御手布巾被下草花巻のこと委細承知致候。御手数奉謝候。かつまた丁堂和尚に対し失礼なること申上候段、貴兄よりよろしく御侘いたし置可被下候。右御礼まで。匆々。
 追伸
 丁和尚に対し突然この草花巻譲り下されと申したところで、和尚の承諾なきは固より明かな事に候。そこを特別なる貴兄の手腕にて若しうまく行くこともやと心だのめに致居候処今朝御手紙を拝見。今更のように煩悶致候。併し貴兄を恨むわけには無之、くり言御許可被下候。
   断腸花つれなき文の返事哉(明治35年8月21日 鈴木孫彦・伊東快順宛て)
 
  第二便
 前便さし上候後、猶やるせなくいろいろに考申候。小生生れてはじめてこれ程の想に焦れ候。若し何物かと交換してもらう訳などには参り不申哉。もっとも小生方に何も交換すべきものも無之候えども、若し丁和尚の御寺に何か要求せらるるものあらば、その物にでも購求致し交換相願候事にでも参らば、極めて妙と存候。固より貧乏者にて意に任せず候えども、只今手もとに少々の遊金有之候故かく申上候次第にて、若し二三十円位にて間にあい候わば、いつにでもさし上可申候。斯く申候えどもどうでもこうでも、この巻物を横取せんと申にては無之箇様なことを申して、いよいよ丁和尚の御きげんを損じ候やうにてはよろしからず、そこの処は貴兄がたの御考にて内々御あたり被下度候。かような事は申さぬがよろしとの御考ならば、丁和尚へは一切秘密になし置可被下候。この外に何か好手段あらば小生身にかなうほどのこと、何にでも可致心中御憫察被下度候。乍併到底出来ぬものならば致方も無之、あきらめ可申御配慮煩し候段、御宥恕被下度候。
   草の花つれなきものに思ひけり(明治35年8月21日 鈴木孫彦・伊東快順宛て)





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最終更新日  2018.08.26 14:49:17
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