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カテゴリ:介護 家庭内介護 日記 つぶやき 料理
怒る・怒り 番外編 虐待 認知症の人に対して、もっともやってはいけないこと 「怒る」「責める」 「怒るってなに?」と聞いてみると答えられる人は殆どいない つまり、虐待は常に起こりうる 虫に見られる威嚇や攻撃を怒っていると表現するが、威嚇は「あっち行け」のパホーマンス、攻撃は縄張り争いで追い払う・繁殖の権利を得る・命を守る・捕食する行為そのもので別に怒っているわけではない 感情のもつれはなく、人の感覚とは違う では、犬や猿など他の動物を含め、怒るとは何か? 怒り 湧き出る感情の一つで、感覚である不快に対して起きる強い反応 脳的には原初的なもので、単なる生命を脅かすものから細分化され、不快は安全確保・損得・嫌悪感・など対象を広げコミュニケーションスキルとして大切な役割を持つようになる このスキルを持った生き残り、特に人間は多彩で様々な使い分けをする 湧き出る怒りが留まることなく、「何らかの形」で表に出された状態を怒ると認識する 自律神経の作用で顔が赤くなったり、青ざめたりする 表情筋は怒りを相手に伝える仕事をするので、隠そうとすると変に硬直する 動物にとって「怒る」とはコミュニケーションスキルで表現の一つになる 相手に伝えると言う要素が強く、基本的に必要以上のエネルギーは使わないし、思考力のない生き物の「何らかの形」は単純になる 人の持つスキルの恐ろしさ 人の豊かな情報の記録、エピソード記憶が負の反芻思考で根深くなると、「何らかの形」は複雑化し、「喜怒哀楽」の「怒」に寄ってしまい憎しみが芽生えると残虐性をおびてくる 怒りの種は身の回りに数えきれない程有る負のストレス 例えば、嫌悪感を感じる負のストレス 気にしていないつもりでも {汚い・醜い・臭い・単に嫌いなもの}が常に {近くにある、目に写る、感じる}だけでも負のストレスは蓄積される 手間や労働での [必要以上の拘束、時間を食いつぶされる、予定を崩される}のもストレスになる {結果が出ない、決着がつかない、区切りがない}なども負のストレスを貯める 支援介護など、人との関りや接触が密になる仕事ほど、ストレスエネルギー発散の的が「人になる可能性が高くなる」そのとき虐待が起きる 虐待が無くならない理由の一つ 虐待は他の動物にも見られる 生きる力や能力差・支配関係や優劣を見切れず、無駄に危険な状況を作ってしまうのは珍しくない 相手との距離感や群れなどでの自分の立ち位置は、安全の確保と保証になる そのやり取りの中で、行き過ぎた行動に出てしまう個体が有り、弱いものは追放されたり、命を落とすモノもある 人の根本も同じだという事 更に本能的な行動を押さえ倫理的な行動をするのには、他の生物が使わない余分な大きいエネルギーを必要とし生物的に大きなストレスを抱えることになる 安定感も持続性も高いとは言えず、保証できる範囲ではない より複雑化した感情が有り、知があり、その上で心の有りようが変わる それによって日頃から何を思い、どう考えるか?で言葉や行動が決まる 更に理性的な判断を持って、どう表現するのか?で情報の伝え方や身のこなし方を変えることが出来る 残念なことに非常に難しい問題で、人の心は常に揺らいでいて、狂ってしまう機会は幾らでも有る 虐待は人間の概念の中に有る 自然界では強いものが支配するように見えている 生物的には連鎖の中にあり一過性のものだとも言える そうでなくては生物は全滅する 一過性で突発的に誰(他動物)にでも起こりうる虐待は、集団心理の中で成長してしまう事もある イジメ程度は常に起きていると言うのが心理学や動物行動学での常識 それを認めようとしない世の中で有る限り、現状は変わらないと予測できる 視点を変える 怒っているように見える他の生き物は、怒っているわけではなく刺激反応で起こる物理変化 それが自分にとって有益だった 血流が増し顔が赤くなるとか、毛が立つなどシンプルなものから始まり、事なきを得れば元の状態に戻る 人の優れたスキルの分析・思考は、長い時間を集中し状態を継続する必要が有り、怒りについても追及してしまう 事なきを得ても持続、あるいはエピソード記憶に残される 知能と豊富な感情によって徹底的かつ感傷的といったものがプラスされオバーワークしてしまい、大義名分を持って喧嘩は戦争になり殴り合いから原子爆弾や化学兵器を使うまでになってしまう スケールの違いだけで、人が集まれば近所の子供達、家族内、学校、会社内に限らず常に問題が発生する 定義にもよるがイジメや嫌がらせは普遍的なもので、その辺に転がっている 虐待は一般的に強者から弱者に向けた優劣が産む一方的な支配関係を言っている 相手から繰り返し傷つけられ、逃れることが非常に困難な状態(環境)に追い込まれている状況 その様な状況は、現実社会の仕組みの中で見え隠れしている 遺伝子と言う物質の副作用?生物のエゴ 食物や物資を得られるモノが勝者であり、人の場合は延長上にお金が有る 色んな関係を強者弱者で表現し、支配と従者の関係を作っている 自分の身の安全や利益を得られるか?が個体や種の存続問題であり、連鎖の中で互いが望む事もあれば、契約的なものまで有る 残された遺伝子構成でメリットが有るから服従する選択肢が生まれると思えるが、イジメや虐待の支配には個体のエゴが見えてくる 虐待の統計から考える 被害者は年齢の低い10代未満と高齢者が圧倒的に多い 加害者は年齢に関係なく、俗にいう被害者より力や立場の強いモノ 子供の頃のイジメは「コミュニケーションの学習や駆け引き」で、成長の過程に学びとして発動する 認知症が進むにつれ、虐待は減るというより出来なくなる 当たり前の結論にたどり着く 虐待は、ある程度の知能の発達が必要で意図的なもの 大抵は、言い分(大義名分)が有る 生物的には、虐待のような意図的でない支配は、連鎖の中で淘汰されていくので異形の存在となる 人の場合だと精神異常と見なされる 縄張り・テリトリー 生き物にとって食料の確保と安全の確保は最重要項目 いちいち命のやり取りをする治外法権の世界だとしたら、滅亡と誕生の繰り返しは目まぐるしく環境自体が不安定になって生存率が低くなってしまう 命のやり取りなく効率よく解決できるスキルが、人の言う怒って見せるというスキルで、エネルギーとしては大きく、それなりのストレスになる エネルギーの法則は、そのままストレスに当てはまる 相手に負荷をかける分、自分にもしっかり返って来る相互関係に有るので出来れば少ない方が良い 動物の世界が、人の言う「怒る」スキルを発動できる遺伝子で構成されている事実と結果 それに従うという意味は、この世の連鎖の中に納まっていると考えるのが自然だと考えた まとめ 虐待の正体 虐待とは、ミスを含め感情コントロール不能になっている状態であると考える 「生存に関わる怒ると言うスキル」は安全確保が根底に有り、秩序を保つという結果に結びついている 自分や群れを守る上位スキルは、連鎖のシステムに組み込まれいるので必然的に発動する 大きなエネルギーを有するものなので加減も必要になる そこにはミスも有り、意識してコントロールしなければならない(実際に無意識で行っている) 特に人の場合は、感情のもつれが有り、複雑な分誤差も生じやすい 個体の自我が強ければ、より主観的になり自分本位になってしまう 他の動物も同じで、行き過ぎた行動をしてしまい、他者の介入が必要になることも有る 「責める」「追い詰める」は、誰もが良くないであろうと思っている しかし、そこでしか満足感を得られない状況が有り、脳内処理の過程で行っているものが表に出てしまうことが有る 一度で終わればいいが、繰り返されることで虐待となる 虐待は生き物の世界でシステムエラーやバグとして起きる 当然、修正しなければいけない また、繰り返すものであり、ウイルス感染もある 予防改善は常に行っておく必要がある お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/10/28 08:20:13 PM
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