地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「ただの私」オノ・ヨーコ 飯村隆彦翻訳 1986/4
ジョン・レノンつながり。友人のブログでこの本のタイトルをみつけて読んでみることに。
現代の人は、ステレオやラジオ、テレビ、電話といったコミュニケーションメディアに取り囲まれている。これらの機械のスイッチをあやつっている間は、自分が何かとコミュニケートしているような錯覚にとらわれてしまう。しかし、もし誰かが急に部屋に侵入してきて私たちを殺したって、テレビは知らんぷりしてしゃべりつづけているだろう。 p19
酉年生まれのオノ・ヨーコはことし73歳。それでこの文章「わが愛、わが闘争」が書かれたのは1974年だから隔世の感がある。このインターネット時代に対して、現在のオノ・ヨーコならどういうだろう。
仮にいま、私がこの瞬間に、私の部屋に進入してきた誰かに殺されて、この部分で文章がとまっても、すぐに気づく人は確かにいまい。数日経過して、変だなと思った友人が、新聞の報道記事でもみて、ああ、なるほど、と後から察するかもしれない。
1973年の婦人公論に書かれたとされる「日本男性沈没」なども、隔世の感がある。ウィメンズ・リバテーション運動の華やかし頃の文章である。フェミニズム、というより、その生い立ちからして、オノ・ヨーコは、強い女だ。いやいや、言い直そう、強い人間だ。
父は横浜正金銀行の主要な管理職にあり、たびたび外国に赴任した。そのため、ヨーコ(”オーシャン・チャイルド”という意味)は、サンフランシスコやロングアイランドや日本で育ち、子供時代にもかかわらず、優遇され、楽しいものだった。p195
なるほど、洋子、だからオーシャン・チャイルド、とは言えている。原書が日本語なら、このようなことは話題にならないかも。でも、洋子、とついたその由来がわかったら、もっとよかったな。
面白いことをお話すると、ジョンが考えたことだけど、ジョンと私が映画の「その男・ゾルバ」を見て、そのなかで男が死んで、黒衣の女たちが周りを囲んで、ベッドから、シーツをはがそうとしている部分がありました。ジョンは、その晩、真夜中に、「僕が死んでから、君やショーンを充分面倒見切れなくて、何が起こるのか心配だ」と言った。p208 ヨーコ談
なんだかこの辺を読んでいると、すごくこの二人の生活に親近感を感じる。私も「その男・ゾルバ」のDVDを持っていて、たまに見る。ジョンとヨーコも、この映画を見ていたんだなぁ。
この本86年にでたハードカバー本だが、90年に文庫化しているところを見ると、長い間読み継がれているようである。その高名さに比して、それほど著書とかないものだから、この本は貴重な資料となっているのかもしれない。
貴族と商人の娘の血を引くオノ・ヨーコはアーティスト、詩人、ソングライター、歌手、プロデューサー、母、アメリカでももっとも金持ちの一人、たぶん、世界で一番有名な未亡人、などなどである。p195
この文章は1985年の米国雑誌に掲載された時のヨーコのプロフィールだが、もう、20年も経過したので、その評価はもっと違ったものになっているかもしれない。しかし、ジョン・ヨーコの名前は、20世紀の歴史の中では抜きがたいビックネームとして残っている。そして、今後もその詩やアートとともに語り継がれるに違いない。