テーマ:Jazz(1961)
カテゴリ:ジャズ
晩秋の「枯葉」 ~トランペッター編(その3)~ 第1回はチェット・ベイカー 、第2回はウィントン・マルサリスときたが、トランペッターに焦点をあてた「枯葉」の話なら、最後はやはり"あれ"を外すことはできないだろう。 ということで、マイルス・デイヴィスによる、かの名演奏である。名義上のリーダーはキャノンボール・アダレイだが、実質的にはマイルスがリーダーとされるブルーノート盤『サムシン・エルス』の1曲目に収録された、有名なあの「枯葉」のことである。 よく知られているように、当時、マイルスはコロムビアと専属契約にあり、ブルーノート・レーベルでリーダー盤を出すことは不可能だった。そうした中、キャノンボール・アダレイをリーダー名義にして吹き込まれたのが、『サムシン・エルス』であり、ブルーノート1500番台どころか、ブルーノートを(はたまたモダン・ジャズ界を)代表するアルバムの一つに数えられることになったのが、この盤である。 音の厚みを活かした荘厳なイントロの後、マイルスのミュート・トランペットが出てくる瞬間ときたら! 何度聴いてもぞくぞくするもので、既にこの時点から言葉でうまく表現すらできなくなってしまうほどだ。 上記の箇所から幕を開けるマイルス最初のソロ・パートは、実はただ単に元のメロディを奏でているだけだ。つまりは、アドリブではなく原曲に忠実なメロディを吹いているだけに過ぎない。にもかかわらず、マイルスにしかできない演奏ということを聴き手は納得するしかないというのが不思議である。その理由は、この演奏が、哀愁に満ちた"歌"であるという点であろうと感じる。要するに、マイルスは"トランペットを吹いている"のではなく、"トランペットで歌っている"と表現する方がいいのだろう。 その後、ソロ演奏はキャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)からマイルスへ、続いてハンク・ジョーンズ(ピアノ)から再びマイルスに戻って曲の終わりを迎えるのだが、いずれもマイルスに移った瞬間が聴き手側の興奮を最大に引き上げる場面である。決して、サックスやピアノのソロの出来が悪いわけではない。むしろその逆で、キャノンボール・アダレイもハンク・ジョーンズも曲調を十分に意識した"ここ一番"の見事なソロを演奏している。にもかかわらず、最後のいい所はマイルスが持っていってしまっているのである。結局のところ、他のメンバーが最高の演奏を繰り広げた中、マイルスがその"最高"を超える"超最高"の演奏を披露したということにつきるのかもしれない。哀愁に満ちたミュート・トランペットの音、微妙な抑揚をコントロールしてのニュアンスのつけ方、その結果として生まれてくるブルーな世界…。名演にならないわけがないという条件が見事に揃っている。 ちなみに、この完成版はTake 2だったそうで、最近になって、存在しないとされた(完全演奏ではないと考えらたままマスター・テープとして眠っていた)Take 1が"発見"された。こちらも聴いてみたいという方は、期間限定(いつまでなのか不明)で公開中とのことなので、こちらをご覧いただきたい。 [収録アルバム] Cannonball Adderley / Somethin' Else (Blue Note 1595) Miles Davis (tp), Cannonball Adderley (as), Hank Jones (p), Sam Jones (b), Art Blakey (ds) 1958年3月9日録音 (参考リンク) 晩秋の「枯葉」~トランペッター編~: その1(チェット・ベイカー)へ その2(ウィントン・マルサリス)へ 他のマイルスの記事: 『クールの誕生』へ 『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』へ 【楽天ブックスならいつでも送料無料】サムシン・エルス+1 [ キャノンボール・アダレイ&マイルス・デイヴィス ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年01月28日 21時56分22秒
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