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書評日記  パペッティア通信

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Dec 3, 2005
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左翼の間では、話題騒然になった、
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート『<帝国>』(以文社、2003年)
の刊行。

今、その姿を世界にあらわしつつある、グローバル秩序。その担い手は、旧来の版図をもった帝国とも、植民地とともに形成された「帝国主義」の帝国とも違い、超国家的制度や資本主義的大企業などとともに、支配的な国民国家すら節点とする、ネットワーク状の権力<帝国>であるという。人びとの生の奥深くまで浸透してゆく<帝国>的な生権力にあらがう、特異的かつ集団的な主体、マルチチュード。マルチチュードに基づいた、グローバル民主主義と「対抗-<帝国>」的プロジェクトは、はたしてどこまで実現可能なのか。<帝国>への対抗可能性と、主体マルチチュードについて探求した『<帝国>』の続編が、NHKブックスから刊行されることとなりました。長らく待望されていただけに、まことに喜ばしい限りです。


上・下あわせて2冊。

「第一部 戦争」
「第二部 マルチチュード」
「第三部 民主主義」


の3部構成になっています。
それにあわせて、飛び飛びになると思いますが、これから3回にわけて、ネグリ&ハート『マルチチュード』を要約して、みなさんにこの場を借りて紹介していきたいと考えています。


「第一部 戦争」


● マルチチュードは<多>なる概念で、<共>を基盤におく

単一の同一性には縮減できない、文化・人種・ジェンダー・民族性、異なる労働形態・生活様式・世界観・欲望といった、無数の内的差異からなるマルチチュード。それは、多様な社会的生産の担い手をすべて含むという。マルチチュードは、「大衆」の均一性とも、「人民」の同一性とも無縁なため、相互の協働とコミュニケーションのネットワークを可能にする<共(the common)>を見出さなければならない。労働は<共>をうみ、<共>は労働を可能にして、螺旋状に拡大してゆく。非物質的・無形財を創出する労働は、とくに<共>的側面が強く、21世紀の現代社会では、支配的な地位をしめつつあると見なしている。

● <帝国>は、恒常的な戦争状態を生み出して<生権力>を掌握する
● 現在のあらゆる地域紛争は、<帝国>の内戦にすぎない


「三十年戦争」以降、戦争が主権国家同士のみ行なえるものとして<例外状態>に追いやられたのは、少なくとも「国内」では平和を常態=規範として確立させるためであった。その近代的原理は、もはや通用しない。戦争と政治の区別はない。軍事活動と警察活動は、「麻薬」「対テロリズム」戦争のように一体化し、内外の障壁は低くなり、近代で追放されたはずの中世的「正戦」思想が復活しはじめた。戦争状態下では、民主主義の停止が永続化する。死を直接支配する<生権力>体制では、戦争はグローバル秩序を作りあげる構成的権力の一環となっていて、戦争は「セキュリティ」の名の元に正統化されている。本来暴力と対立するはずの人権や、国際法、怪物的な「敵」の創出など、様々なものが正当化のため動員されてゆく。暴力をたえず運用することは、規律・管理を機能させる上で欠くことができない。とはいえ、正統なる政府・人権・戦争規則は曖昧になって、何がテロリズムであるかすら、容易に判別することができない。が、その暴力は、<帝国>のヒエラルキー秩序を「維持するもの」と「脅かすもの」、この2つにわけることができるという。

● 貴族と傭兵隊長に似た、<帝国>と軍の関係
● マルチチュードの生政治的生産の「先触れ」である軍事革命(RMA)と、
   「軍生複合体」の誕生


こうした転換は、1970年代にさかのぼる。戦争の焦点は、相手の破壊から、敵の生産へと移り、米ソとも高度の警察行動が一般化するようになった。ハイテク軍事技術とアメリカ一極集中、大規模戦闘可能性の消滅は、戦争を変革してゆく。それまでの「国家総動員」とは対極にある、小規模部隊の投入による「脱身体化」。征服する先の文化・法律・政治・保安に関して、住民に指図して生権力をになう、機械の人工「器官」と化した傭兵たち。とはいえ「脱身体化」された兵士は、アメリカにしかない。圧倒的な非対称性の下、あらゆる標的にされるアメリカ軍は、「全方位的支配」=生権力支配を目指してゆく。「従属した生」を拒絶するものは、生そのものを武器にかえる、自爆攻撃を敢行するしかない。今や、帝国が直面する敵は、ゲリラ型抵抗をさらに押しすすめた、中心をもたないネットワーク状の「群がり」である。これに対応するためには、<帝国>の傭兵、アメリカ軍は、ネットワーク型にならねばならない。もはや、単独行動主義か多国間協調主義か、親米か反米かの二者択一の選択肢は意味がない。国益に固執する一方、普遍主義的・人道主義的レトリックをおこなうアメリカ外交。この2つの「例外主義」は、帝国主義と<帝国>とのハザマで、アメリカが揺れていると解釈されるべきだという。

● 出現しはじめた、生政治的<共>を民主的に組織するための戦い
● <帝国>とマルチチュードの戦いは、<帝国>が、その正統化のために
   「戦争」に訴えるのに対して、マルチチュードは、その政治的基盤と
   しての「絶対民主主義」に訴える


この「戦争」の恒常化による<帝国>権力に対して、マルチチュードは「戦争に対する戦争」をおこなわなければならない。その戦いは、近代において夢みられ実現されなかった、自由と平等からなる多様な関係に拠る<全員による全員の支配>、真の意味での民主主義への欲望に基づかなければならない。近代におけるそうした抵抗は、洋の東西を問わず、分散した反逆勢力によるゲリラ戦から、近代的な人民軍を組織せん、とするものであった。その意味で内戦は、近代化の原動力とよぶにふさわしいものであったが、人民闘争の非民主的性格―――「集権化と階層秩序」が不可避―――は、国家建設の段階で第三世界諸国を苦しめることになる。それはキューバ革命や文化大革命においても払拭できていない。そもそも「人民」では、住民の同意にも、「主権」による指令にも使われてしまう。 「人民主権」によらない、マルチチュードの生政治的生産にもとづく、新しい正統性の確立、絶対的民主主義は可能か? 筆者たちは、70年代以降、小規模・柔軟・可動性の高いポスト・フォーディズム生産への移行と軌を一にした、反アパルトヘイトからフェミニズムにいたる、都市を舞台にした新しい抵抗の出現―――最大限の自律性を保証する、中心をもたないネットワーク型構造―――に希望を託す。アルカイダや麻薬カルテルは、こうした構造とは次元を異にしているものであるらしい。

(つづく <2><3>


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Last updated  Jan 6, 2006 07:49:39 PM
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