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書評日記  パペッティア通信

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「第二部 マルチチュード」

この章ではマルチチュード概念について論じられています。

グローバル化した世界における<政治>に関する理論は、国家をモデルとした近代の政治体に関する2つの理論、「絶対主義的」主権論と「共和・立憲主義的」な主権論を引きついでいるため、いずれもグローバルな政治を把握できていない。そして、そのいずれも民主主義を展開できていない。ネグリとハートは、このような問題意識から、マルチチュードなる概念を練りあげていきます。


● マルチチュード概念は、「主権の伝統」全体に対する挑戦であるという
● <共>で生産されたものが<私>的に占有されること、これが搾取である


マルチチュードは、同一性と差異性の対ではなく、<共>性と「特異性」との対で理解しなければならない概念であるという。まさに、資本が「特異性」(=個人)を有機的な統一主体に仕立てあげようとするとき、集合的な生政治的生産をおこなう形象として現れる。グローバル化のプロセスの内部にありながら抗うマルチチュード。それは、「労働者階級」とは違い、拡張的な概念である。今日の労働と社会は、情報化を強いられていて、知性・コミュニケーション・情動労働が重視される「傾向」にある。組立ラインの直線的な関係から、分散型ネットワーク特有の不確定な関係性への変容。もはや、農業労働者・農村貧困者である「農民」でさえ、工場労働者・サービス産業労働者と切り離された存在ではない。また、雇用と失業の境が曖昧なポスト・フォーディズムの時代では、「貧者」や「失業者」「女性」「パートタイマー」「移民」を主要な政治的役割から排除してきた、マルクス主義的区別は、廃棄されなければならない。社会的生産は、ますます<共>になりつつあり、工場と賃労働の内「外」に依存しつつあるからだ。私たちは全員、「社会的生産」に従事する「貧者」なのである。労働組合は、他の社会運動と合体されなければならない。

● グローバルな権力秩序に向けられる国民国家の行動=「脱国家化」
● 拡大する<共>は、所有に対しての伝統的な考えである、
   労働の延長としての資本主義的権利や権原を弱体化させてゆく


国民国家の権力と機能は、グローバルな枠組の中で変容しているのであって、力を失った訳ではない。このグローバル秩序では、非固定的な、国境で括ることができない、「労働と権力のグローバルな分割」がおこなわれている。それは、一握りの人の富と大多数の「労働と貧困」を恒久化する階層秩序、<グローバルなアパルトヘイト>に他ならない。その秩序とは、相互作用の自己調整(国際会計基準、商人法)、国民国家間での調停、超国家的なグローバルな権威(IMF、世界銀行)の、3つのレベルの規制装置が一緒に働く、グローバルな擬似政府を構成している。9・11以降、顕著になってきた「大きな政府」への欲望は、ケインズ主義的再分配とは無縁の、「セキュリティ」の肥大化にすぎない。そのセキュリティは、「非物質的生産」にも向けられていて、ナップスター問題や遺伝子組換技術の発展にみられるように、知的所有権やバイオ所有権の途方もない拡大を引きおこしている。それは、社会的生産の基盤である<共>の私有化による囲いこみであって、民営化による腐敗のみならず、マルチチュードの生政治的生産性、すなわち非物質生産そのものを阻害して弱体化させてしまう。<共>による<共>の掘りくずし。この事態は、私的所有を守るものが暴力以外にない、という状況を引きおこしかねない。問われているものは、<共>へ介入できる民主的なアクセスをどうするか、であるのだ。


● 「私」と「公」のどちらにも抗して属さない、<共>の実践を!

もはや、社会的統一体や「人民」の再建・再生は、意味をなさない。労働と<共>の螺旋状の拡大は、もはや個人と国家を、「器官と身体」のアナロジーで了解させてくれない。マルチチュードとは、社会的な「肉」、モンスターなのである。習慣やパフォーマンスや言語は、「過去」の重みと社会的相互作用による制約を受けながらも、日々、他者とのコミュニケーションを通じて再生産される、人びと共有の「社会的自然」である点で、<共>の生産を理解するのに参照となるだろう。いずれも、その能力は<共>から生まれ、<共>を産出して、<共>の中でおこなわれてきた。ところが「新自由主義」は、社会的領域では「公」の極端な拡大、経済的領域では「私」の極端な拡大で、この領域を窒息させようとしている。<共>の政治戦略の構築には、公共財・サービスの「民営化」イデオロギーの虚妄を暴くだけではすまない。「公」(=国家)の領域は、官僚にかわってマルチチュードが管理運営に参画するのみならず、多様な特異性のもとづく<共>の枠組を前進させなければならない


この章では、既存の左翼陣営から『<帝国>』に投げかけられた批判、「アナーキズム」「レーニン(前衛)主義者」「産業労働者の敵」「ポストモダンのレーニン主義者」「労働者のことしか気にかけていない!」「不完全な弁証法」「サバルタンを忘れている」「北の代弁者」「非現実的」(ほとんどの批判は、通暁しない人間には理解できないと思うけど…)に対する、ネグリ&ハートの回答も収録されていて、ほとんど必読に近いと言えるでしょう。また、毛沢東主義プロジェクトが世界的に適用可能であるのは、農民の「社会的生」まるごとを変革する「生政治」的闘いだったから、というのも面白い。<農民階級の最終的政治目標は階級としての自分自身の「消滅」にある>パラドクスには、唸らせるものがあります。とはいえ、ミヒャエル・バフチンを援用しながら、特異な主体のポリフォニー的集まりの中での「対話」といった、各主体の共的構成を通して、人々はカーニヴァル的な喜びを獲得する…などの補論はなくてもいいような気もするが…。



(続きは鋭意執筆中 どうか応援お願いします)


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Last updated  Jan 6, 2006 07:52:45 PM
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