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書評日記  パペッティア通信

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Mar 1, 2006
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カテゴリ:経済



保守・左翼。
様々な立場から寄せられる、アメリカ帝国「賛美と批判」。

冷戦下における帝国主義批判や帝国批判は、すでに無効となっているものの、アントニオ・ネグリを始めとして様々な潮流が現れていることは、みなさんもご存じの通りでしょう。本書は、そうした「帝国論」の中間決算を目指して、編者が読みたいとおもった研究者に帝国論の寄稿を依頼したものだという。<帝国>を実体として捉えない。そして<言説的権力としての帝国>―――正統化のための言説空間がどのように構築されているのか―――こうした問題設定を軸にして、村田勝幸、鈴木一人、滝口良、重田園絵、松里公孝、芝崎厚志、そして編者のあわせて7名(順番に1章~7章と担当している)が集められた。嫌がうえにも、われわれの期待がかきたてられるというものでしょう。


内容を簡単にまとめておきましょう。


第1章は、ジュリアーニ前ニューヨーク市長の「コミュニティの信頼に根ざした」「ホームランド・セキリュティ」の論理が俎上にのせられている。帝国と帝国主義を切り離して扱うネグリ≪帝国論≫の議論は「アメリカ例外主義」を隠蔽してしまいかねない!。この批判の下、2つの視角から検討される。人種とジェンダーのトランスナショナル性は、≪帝国≫によってどのように変質したのか。また、「ホームランド」というファンタジーに支えられたジュリアーニの論理は、セキリュティ感覚を通して、その内部からどのように「異質な外部」を再生産し敵視し除去してきたのか。赤裸々に示される、ジュリアー二政権下、NYにおける、マイノリティ(黒人)への人権侵害。ところが、こうしたジュリアー二批判は、「9・11」以降、鳴りを潜めてしまう。これは、≪帝国≫のパワーによって、多様性や異質性を容認しないその空間が隠蔽されてしまっている姿を現しているという。

第2章は、EUの≪帝国≫性を論じている。EUとは、貿易・投資・経済などさまざまな関係を通して、かれらのもつ市場活動規制をEU領域外に受け入れさせてゆく、「規制帝国」に他ならない。その際、軍事的な強制を避けながらも、規制の「普遍性」を強調し、「自発的」にEU領域外に受入させてゆく方法が採用されており、事実上の「勢力圏」が形成されている。このEU「規制帝国」は、かつての植民地をもつ「国民帝国」の崩壊の反省から産み落されたもので、民族自決権を前提とした、比較的コストのかからないものという。ただ、アメリカの「規制帝国」としての側面と比較することで、EUのもつ脆弱さが明らかにされる。影響圏は、世界レベルではなく、また比較的富裕な諸国には通用していないし、帝国としての一体性を持ち合わせていない。21世紀型≪帝国≫は、規制帝国以外の形態をとりえないと提起されて、本章は締めくくられる。

≪言説的権力としての帝国≫がどのように作用しているのか。第3章では、近代化とグローバリゼーション、脱社会主義化の3つが同時に進む、モンゴルがケーススタディとして取りあげられている。有史以来、モンゴルで初めて、「土地私有化」が公認される土地所有法は、どのような言説の場におかれてきたのか。アジア開発銀行や国際機関などでは、この法律のメリットとして、「私的所有権を持たないことによる、環境破壊と非有効的な資源利用」が改善されることにがあげれてきた。ところが、モンゴル国内では、まったく事情が違うらしい。私有化は、「土地の主」=「国家の主」=チンギス・カン以来の国土を守る(国家の独立)という、体制移行(社会主義から資本主義へ)後の政治的正統性を強調する言説の下におかれているという。これは、2枚舌なのではない。≪帝国≫という体制下では、「同質化と差異化を同時に推進される」(by ネグリ)のだ。グローバル化の背後に合衆国などの先進国の意図を見出そうとしたり、国家やローカルなものをグローバリズムへの抵抗と看做そうとする思考を拒否するものとして、ネグリが改めて高く評価される。

第4章では、反ユダヤ主義・ナチ協力者として悪名高い、カール・シュミット著『大地のノモス』をアメリカ≪帝国≫論として読まんとする試みになっている。近代に成立した「ヨーロッパ公法」秩序が、≪帝国≫アメリカによって掘り崩されていくと捉えた、シュミット。この新しい世界では、旧来の戦争における「正しい敵」は消え、敵は「犯罪者」「治安攪乱者」にすぎない。これは、シュミットによると、「公法」以前のキリスト教的正戦論への復帰ではなく、力あるものによるイデオロギーにすぎないという。これは、≪言説的権力としての帝国≫の真実の一面を捉えていることは疑いない。ところが、そうしたヨーロッパ・日本などで通行する批判的言説は、別種の≪言説的権力としての帝国≫が再強化される―――ヨーロッパを「一枚岩」としてとらえるヨーロッパ中心主義の強化、「均質なる日本」という価値観の強化―――カラクリがはらまれているという。それは、異質なものの排除に向かいやすい。また、≪帝国≫アメリカを強権国家と名指しすることは、世界的セキュリティと治安技術の向上による≪グローバルな帝国≫が出現していることを忘れさせやすい。批判的に用いられてさえ、別所で≪帝国≫を強化してしまう、パラドクス。

第5章は、ソ連崩壊以後の、「ロシア帝国論」の動向から、≪帝国≫が問い直されている。レーニン以来ソ連では、特異な「原初主義」的(実体主義的な)民族概念=「タイトル民族」が採用され、民族領域主義によって、行政区画にまで反映されていた(「チェチェン共和国」など)。この民族理論は、社会主義諸国全体に大きな波紋と影響を与え、ユーゴ紛争などの様々な民族紛争を招いた。現在、「構築主義」的理解にもとづく「空間主義的アプローチ」が、原初主義にもとづく「民族中心主義的アプローチ」に対して批判的に提起され、旧ソ連諸国において空前の≪民族≫研究ブームがおきているという。これは、民族の裏にある、ロシア~ソ連の≪帝国≫研究を刺激せずにはおかない。今では、空前の≪帝国≫研究の盛行がみられ、新しい多民族共存のための≪帝国≫という視角が打ち出されているという。ロシアとソ連、この2つの多民族≪帝国≫は、純粋空間主義的行政原理から、民族領域主義に転換して、本来なかった民族エリートを養成して、「分離主義」の蠢動を引きおこすことになった。ある種の≪帝国≫をユーラシアに打ち立てようとするEUとプーチン政権が、純粋空間主義的行政原理への回帰を主張するのは驚くに値しない、と断じられる。



(長くなりましたので、<2>に続きます。暖かい応援をおねがいします)

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Last updated  Aug 3, 2006 02:30:58 AM
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