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テーマ:鉄道(22173)
カテゴリ:鉄道忌避伝説
ここ数日、東北本線ばかり見てきたので、今日は奥羽本線沿線の地図を見ていました(←あんまり変わらないじゃん・笑)
日本鉄道が敷設した東北本線とは違い当初から官営だった奥羽本線ですが、線路の敷き方は、東北本線とそう変わりがないようです。福島と山形との県境の板谷峠は最急38パーミルの急勾配ですが、地図を見る限り、福島市飯坂町茂庭~山形県高畠町間の鳩峰峠や宮城県七ヶ宿町~同じく高畠町間の二井宿峠よりも確実に線路が敷けそうな感じですしね。川は交通路の母とは良く言ったもので、板谷峠の場合、福島側で松川、山形側で羽黒川が流れていたのが、ルート選択の決め手になったような気がします。 また、駅や信号所の間隔についても、概ね10キロ弱と、当時の東北本線や常磐線の駅間距離と同程度と言えます※。 ただ、東北本線に比べると、市街地から離れて駅が作られたケースが、若干目立ちます。代表的なのが、米沢、赤湯の2駅。ただしこれらについては、米沢が松川(最上川のこと。福島の松川とは別の川)への架橋を避けた結果、赤湯は町の真北にある丘陵越えに備えるため町の近くに駅を作ることができなかった結果で、いずれも建設上の都合によるものと考えられます。特に米沢では鉄道忌避の話が伝わっているようですが、恐らくそれは史実ではないでしょう。 ただ、どうしても分からないのが、大石田駅の位置付け。上山から大石田の手前までの奥羽本線は羽州街道沿道をきちっと通っているのに、ここでは羽州街道沿いの尾花沢ではなく、西方約3キロにある最上川の河港・大石田にわざわざ立ち寄っています。これは尾花沢が鉄道を忌避した結果なのか、はたまた逆に大石田が鉄道を誘致したのか。ひょっとして大石田から酒田方面への舟運との接続を考えてのことなのか? でもその割には駅と河畔とは1キロほど離れていて接続が良いとは言えないし、いったいなぜ奥羽本線は、大石田に立ち寄ったのだろう? ※1903年に福島~新庄間が開通した段階で開業していた駅、信号所とその間隔は、下記の通りです。 福島~6.9キロ~庭坂~7.7キロ~赤岩信号所~6.6キロ~板谷~3.3キロ~峠~4.3キロ~大沢信号所~6.0キロ~関根~5.3キロ~米沢~9.8キロ~糠ノ目(現・高畠)~6.2キロ~赤湯~8.3キロ~中川~8.6キロ~上ノ山(現・かみのやま温泉)~12.1キロ~山形~7.8キロ~漆山~5.5キロ~天童~5.9キロ~神町~7.2キロ~楯岡(現・村山)~13.4キロ~大石田~13.4キロ~舟形~8.3キロ~新庄(ただし、峠は開通当初は信号所、中川、漆山は、開通当初は駅はなく新庄開通までの間に開業) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.22 02:10:55
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