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テーマ:たわごと(26628)
カテゴリ:東日本大震災
今日の仕事帰りに、同僚からこんなことを言われました。
「こないだ福島の友達と話す機会があったんだけど、東日本大震災の地震や津波のことにはまったく関心がなくて、ず~っと原発の話ばかりしてるのな… 宮城だと津波が来て県民の大半が見知った人を亡くす結果になってるけど、原発ではまだ誰も死んでないじゃん。」 だから福島の人は騒ぎ過ぎだとまでは言わなかったけれど、話を聞いていて、外から見た福島県の状況はそんなものなのかなと感じた次第。一応この同僚の名誉のために書いておくと、彼は、仙台市内の小学校で会津方面への修学旅行が忌避されている現実を憂いてもいるのです。地元びいきでもなく各地域を比較的公平な目で見ることのできる人物なだけに、その発言には妙な重みを感じました。 自分の住んでいる地域を愛し、関心を寄せる… 当たり前の行為だと思うし、私も特に否定はしません。が、福島県にお住まいの方のブログなどを拝見すると、自己憐憫の情が強く出過ぎているのではないかなとも思ったりします。「自分が可哀想」の感情が表に立ち過ぎていて他者を思いやる余裕がないというか… 実際、福島県に住んでいると、多くの方々から同情の声を頂戴します。が、それに甘えていつまでも悲劇の主人公を演じている訳にもいかないとも思うのです。 妙な話ですが、周囲の人から同情されると気分が落ち着いたり下手すると嬉しい気分になったりもします。相手は自分に対して「同情」しているだけなのですが、「愛情」を受けたと勘違いしちゃうんですね。 これが麻薬。 そんな状況が何度か続くと、今度は「相手の愛情(実際は同情)を得るために敢えて自分を不幸な状況下に置く」行為に走る可能性があったりする訳です。だから、「現在の福島県内における放射線量では癌になる可能性は殆どない」という科学的に裏付けられた(と発言者が信じている、と一応但し書き)主張が好意的に受け入れられず「殆どないということはゼロではないよね。その中には入りたくないよね(だから私たちは可哀想だよね)」と針小棒大に騒ぎ立てた論説が支持される… 現実にそんな構図が、まかり通っているような気もします。 その連鎖は、どこかで解かねばなりません。具体的に言うと「放射線とある意味『共生』しながら福島県を建て直していく」という方向性にシフトさせなければ… と思うのです。冒頭でも紹介したように、(厳密には関連死を除いてですが)原発事故ではまだ誰も亡くなっていません。不幸にして避難を余儀なくされた方は大勢いらっしゃいますが、全県民がベクトルを合わせれば、宮城県や岩手県に負けない復興だってきっと可能なはずです。 今、前を向かなければ、自己憐憫ばかり主張する福島県民はいずれウザがられ、飽きられてしまうのではないか? そんな焦りが、私の中にはあります。 ![]() SALE価格!まさかのこの値段!!激安!!そしてなくなり次第終了!!ネイルやデコに大活躍のホログラム♪こちらの商品の売上金5%を東日本大震災の義援金として寄付致します。キラキラ ネイル☆六角ホログラム1mm/2mm 1g(袋詰め) 全16色♪【02P05nov10】【cosme110104】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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