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テーマ:いじめ(337)
カテゴリ:東日本大震災
今日の地元紙を読んでいたら、「福島県内から山梨県某市に避難した元生徒のいじめ」云々という記事を見つけました。恥ずかしながら、山梨県でそんな事象が起こっていたとは知りませんでした。私の中でも福島第一原発事故は過去の出来事として風化…は言い過ぎかもしれませんが、少なくともこだわりを有する出来事ではなくなっているんだな~とは感じます。
しかし、この手の記事を読んでいると、親が避難を決めていなかったら、あるいは避難したにしても場所をもっと吟味していたら、いじめの悲劇は防げたんじゃないかとも思うんですよね。我が家自体が原発事故当時子供が小学生で無数にあった選択肢の中から「どれがベターか」を選べる(てか、「福島県に住み続けることがベストではない」と刷り込まれた)立場にあったが故に、親が選んだ結果悲惨な目に遭ったお子さんには同情するけれども、選ぶ主体となった親にはあまり同情できないな…という複雑な心境を抱いていたりもします。 いじめの主体者となったのはあくまで避難先の児童・生徒であったかもしれませんが、そんな環境に子供を放り込んだのは、間違いなく親です。この手の報道で「親の反省・後悔」を滅多に耳にしないだけに、ひょっとしたらプライベートでは散々聞かされていて嫌になっているのかもしれないな…と思いつつ、「親の責任」は声を大にして主張したいですね。 【新品】【本】作文と教育 No.850(2017年6月号) 特集●福島発厳しい現実のなかで表現の可能性を拓く 原発、貧困と格差、いじめ 日本作文の会常任委員会/編 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.05.27 10:57:49
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