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テーマ:プロ野球全般。(13224)
カテゴリ:野球大好き!
暇潰しにこちらの動画を観ておりました。落合博満のYouTubeチャンネルなんですが、語られている内容が結構衝撃的だったので驚きました。なんと、1988年オフに、落合のトレード話があったとか!?
1988年と言えば、落合が所属するドラゴンズはリーグ優勝を果たし、落合自身も4番バッターとして優勝に貢献したものの、個人成績はレギュラーに定着してから初となる打率3割割れ。それより何よりオリオンズ時代の1985、1986年に連続して三冠王になったのにドラゴンズに移籍した後の1987、1988年と連続して打撃三冠タイトルとは無縁…となると、確かに「期待したほどの成績は挙げていない」と判断されることになるんでしょうね。しかも1988年オフで35歳になっていた落合は、年齢的にも下り坂とみられるでしょうし… もっと驚いたのは、トレード相手がファイターズの津野だったこと。確かに彼はエース候補として高卒入団直後からローテーションを担ってはいましたが、負け越すシーズンが多かった上に後から入団した松浦宏明、西崎幸広に成績面で追い抜かれ、崖っぷちの立場ではあったと思います。当時のファイターズは投手王国で松浦、西崎の他にも、河野博文、佐藤誠一、柴田保光、武田一浩と先発もリリーフもできる人材が揃っていた一方で、野手陣は若手の田中幸雄が台頭していたものの島田誠、古屋英夫といった1981年にリーグ優勝した頃の主軸に衰えが目立っていたから、津野を放出してクリーンナップを打てる野手を…という考えにはなると思います。実はその前年にもドラゴンズとファイターズとでは大島康徳⇔大宮龍男を軸としたトレードが行われていて、特に大島はファイターズ移籍後に打棒が復活した経緯があるから、ファイターズはトレードに前のめりになっていたことでしょうね。 結局このトレードは実現しませんでしたが、もし実現していたら…と思うと、興味深くはあります。当時のファイターズの監督は、アイデアマンとして知られた近藤貞雄。ファイターズ時代だけでもルーキーの鈴木慶裕、中嶋輝士の開幕戦スタメン起用、シーズン途中にジャイアンツから獲得したリリーフ投手・角盈男の先発登板、40歳を迎えるシーズンでの大島1番起用など奇抜な選手起用が目立ちましたが、アイデアが勝ちすぎて選手のモチベーションが下がっていたような気がしなくもありませんでした。結局落合もそんな近藤采配には不満を漏らしていたかもしれませんね。 カルビー1987 プロ野球チップス No.16 津野浩(B) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.04 09:33:58
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