人が死ぬときに何を後悔するかということについての研究によると、総じて「もっと冒険しておけばよかった」と思う人が多いのだそうです。
結婚しておけばよかった、夢を諦めなければよかった、子供を育ててみればよかった、愛する人に感謝を伝えればよかった・ ・ ・ 。
そんな勇気を持てなかった数々の事柄が思い出されるのだそうだ。
また同じことを海外で調査した結果の中には、 「自分の美しさに気付かなかったこと」を後悔しているという項目が挙げられていました。
どの国でも、多くの人が自分に厳しすぎる批評家なのですね。
容姿、心、存在そのものの美しさに、他でもない自分がきちんと気付いていたら、違った展開があったかもしれない。
「ずっとやってみたかったことを自分にさせてあげたい」と思うのならそうしましょう!
自分には不似合いだ、ふさわしくないなんて決めつけないで、諦めずに堂々と。何をやるにも、いまは最適の時です。(ダメな自分の魅力の見つけ方 矢尾こと葉 きこ書房 109ページより引用)
これは挑戦したいと思っていた夢や目標を経済的な理由や精神的な理由で諦めてしまうと、人生の最終章を迎えた時に後悔をするというものです。
アドラーは、「人間は目標に向かって生きる動物」であると言いました。
森田理論では「生の欲望の発揮」をとりわけ大事にしています。
やるべき仕事や課題のない生活はつらいものです。
夢や目標の持てない人生は寂しいものです。こんなに苦しいことはありません。
逆に言えば、夢や目標に向かって努力する過程が人生の醍醐味であるともいえます。
神経質性格を持った人は、感受性が強く、好奇心が旺盛で、あらゆる方面に興味や関心を抱きます。
その素顔な気持ちに従って、経済的に許す範囲で挑戦してみるという態度が大切なのだと思われます。
しかし、いきなり夢や目標を持って、意欲的に生活をしなさいといっても、神経症で苦しんでいるときはとてもそんな気持ちにはなりません。
そういう時は、日常茶飯事の中で小さな目標を見つけることから始めることが大切だと思います。
森田理論では、感じを高めるという事を大切にしています。
ものそのものになりきるって日常茶飯事に取り組んでいれば、気づきや発見が出てきます。
そうすれば感じが高まり、意欲的、挑戦的になります。
それが小さな火種となって、もう少し大きな夢や目標へと膨らんでいくのです。
煩わしい日常茶飯事を丁寧に行うこと、雑仕事を丁寧に行うことから、道は開けてくるのです。
「自分の美しさに気付かなかったこと」を後悔するということですが、自分という1人の人間の存在、自分に備わっている能力、自分に管理を任されている様々な物などの価値を十分に認識していないのだと思います。
それらはあって当たり前、そして自分にないものを際限なく追い求めることにエネルギーを消費しているのです。
やたらにそれらを追い求めるのではなく、今現在自分に備わっているものを磨いて活用していくことに注意や意識を切り替えていくことが必要なのではないでしょうか。
ないものねだりをするのではなく、今あるものを最大限に大切にして、活かしていく生き方を森田理論は教えてくれています。それが自他ともに平和で共存共栄できる方向だと思います。