カテゴリ:行動のポイント
森田理論で「あるがまま」の内容を学習すると、不安、恐怖、違和感、不快感、症状などを、そのまま受け入れよう、あるいは放任しようと考えるようになります。
しかし、受容し、放任しようと努力すればするほど、受容も放任もできない。 「症状」が強くなって、苦悩は深まるばかりである。 ますます、なすべきをなすという実行にふみきれない。 対人恐怖の例でいえば、人に会うまえの不安、緊張感を受けいれよう、あるいはそれを「放任」しようとつとめればつとめるほど不安と緊張感が強まってくる。 いよいよ会うのが苦しくなって、なんとか会わないですむことを考えるといったように、逃避的になり、「なすべきをなす」という実行から遠ざかってしまうのである。 森田先生は感情の法則第4で、「感情は、注意をこれに集中するとき、ますます強くなる」ということを指摘されている。 不安、緊張感を受けいれよう、あるいは放任しようとつとめることは、これを排斥するのと同様に、注意を不安、緊張感に集中することになり、不安、緊張感を強める結果になるのである。 森田療法では、このように、「こうしたい」という思想とその結果(事実)とが反対になり、矛盾することを「思想の矛盾」といい、この注意と感情・感覚の悪循環を「精神の交互作用」といって、そこに神経質症状発生の主要なからくりをみるのである。 (生活の発見誌 11月号 長谷川洋三 20ページより引用) 不安はそのまま持ちこたえて、目の前のなすべきことに取り組む態度が「あるがまま」である。 それで神経症が克服できるのなら、そうしてみようと思って実践・行動に取り組んでいては神経症は治らない。むしろ神経症はますますひどくなっていくのが真実だということです。 最初は森田理論を理解して、そのような気持ちで実践・行動しても構いません。 今まで不安、恐怖、違和感、不快感と格闘してばかりの状態から見ると事態は好転しています。また、気分本位になり逃げ回っていた状態からみると進歩しています。 目の前のなすべきことに多少なりとも意識や注意が向いてきたというところが評価できるのです。 ところが少し楽になった時に、そこに胡坐をかいていては、奈落の底に突き落とされてしまう。 さらに言えば、神経症がどんどん増悪してしまうという面も併せて学習することが大切です。 その悪循環を断ち切る方法は何か。 目の前のなすべきことに対して、一心不乱になって取り組むということです。 一時でもそうなれば、その時症状を治すとか治さないとかは蚊帳の外になっているはずです。 それを別の言い方でいうと、生活の必要に応じて、必要なことに、必要なだけ取り組んでいるということになります。観念の世界にどっぷりと漬かっていた状態から、物事本位の態度に切り替わっているということになります。 森田先生の言葉に、「ものそのものになってみよ、天地万物すべて我がもの」というのがあります。最初は神経症を治すための実践・行動でも構いません。 しかしいつまでも、症状の改善を目的とした実践・行動は、百害あって一利なしということです。実践・行動のレベルを一段階レベルアップすることが欠かせないのです。 そのキーワードが、「ものそのものになりきる」ということになります。 その数を増やしていく姿勢が大切になってくるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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