カテゴリ:森田理論学習の進め方
森田理論学習の歴史を見ると、水谷啓二先生がお亡くなりになった時が、大きな転機になっていることが分かります。
この間の事情については、岡本重慶氏の本にくわしく書いてあります。 それまでは、森田正馬先生、水谷啓二先生というカリスマ指導者がいらっしゃいました。二人の先生に師事することで、症状を克服して、森田的生き方を身に着けていったのです。 両先生は、患者に対して自宅やプライバシィを開放して、付きっきりで指導にあたられました。このやり方は今では考えられないことです。 1970年に水谷啓二先生というカリスマ指導者を失い、途端に方向性を失いました。 そこで急遽「森田療法を検討する」という座談会が開かれました。 出席者は、永杉喜輔氏(水谷先生の五高時代の同級生、社会運動家)、水谷先生が創刊された「生活の発見誌」の同人として長谷川洋三氏、青木薫久氏(啓心会診療所第4代所長)、森田先生に師事した和田重正氏(はじめ塾、人間の再教育家)らでした。 ここで青木先生は、カリスマ指導者が神経症で悩む人を更生させるというやり方は、ともすると新興宗教的な色彩を強める可能性が高いと指摘されています。 青木先生は医師の立場から、精神療法の科学性を重視して、宗教性を排除すべきだと主張されました。仏教や禅の考え方を排除して、精神分析に匹敵する確固たる理論に裏打ちされた世界に通用する精神療法として確立すべきであると主張されたのです。 つまり森田療法を純粋に医学的な神経症治療として取り扱うべきであるという立場をとられました。精神科の医師としては当然のことかも知れません。 もし、この方法を採用されていたとすると、森田理論の学習運動は途絶えていたと思われます。 森田先生の指導を受けた和田重正氏はその主張に異を唱えています。 「純粋に科学的にということだけではダメなんで、そこに人間的なものがもう少し加わっていくことが現実には必要」であって、「古い意味での宗教的なということでなく、やはり宗教的なというものはどうしても出てくるはずだし、それがなければ現実には人間と人間との間で導くとか、導かれるとかいうものは出てこないんじゃないかな」と述べておられます。 さらに、長谷川洋三氏は、森田療法というものは、神経症の治療だけを対象とするのではなく、人間教育という側面が大きいのではないか。 むしろこちらが主流になるのではないかと考えられたのです。 森田療法は、神経症を治すという医療分野に特化するのも必要ではあるが、我々としては「森田人間学」の確立という視点で発展を図っていくべきではないか、と主張されたのです。 医学的な神経症治療としての森田療法と森田人間学を深めるための森田理論学習をはっきり分けるべきではないかという見解を示されたのです。 この意見に、永杉喜輔氏、和田重正氏が同調されました。 この方向で、なんとか新生「生活の発見会」の誕生にこぎつけたのです。 余談ですが、公益財団法人メンタルへルス岡本記念財団もこの流れの中で生まれてきたと思っております。というのは創始者の岡本さんは、生活の発見会で森田理論を学ばれた方だったからです。 長谷川洋三氏は、会の運営を個人に頼むのではなく、集団指導体制で運営しよう考えられました。「生活の発見会」という自助組織の会則を作り、「生活の発見誌」を機関誌として位置づけて、森田理論の学習運動を全国的に推し進めようとしたのです。会員による会員のための自助組織作りを目指されたのです。 このやり方は多くの神経質者に支持され、会員は一挙に7000名に迫る勢いでした。特に1980年代が盛況でした。少なくとも1993年までは勢いがありました。長谷川洋三氏、齊藤光人氏は森田理論学習における革命児でした。 当時全国各地で開催の集談会には、神経症で苦しんでいる人が多数参加されました。私もその渦中にいましたが、集談会は常時20~30名近い人が訪れて、自己紹介で一杯一杯という状況でした。 どんどん根分けをして集談会の数が増えていきました。 内容としては症状の克服対応に終始していました。 集談会の役割は、神経症の治癒にあるという暗黙の了解がありました。 そして、神経症を克服した人がどんどん社会復帰していったのです。 しかしながら、人生観の確立、生きづらさ解消という本来の学習運動の原点を目指すことはかないませんでした。 今の生活の発見会の現状を思うとき、これが残念なことだったと思います。 生活の発見会が医療と同じ土俵で戦っていたのです。 医療と競合する限り我々の独自性は発揮できません。 会員が増加の一途をたどっていたので、現状に満足したのかもしれません。 長谷川先生が当初考えたように、森田理論学習運動は神経質者の人生観の確立にありという大目標を見失わなかったとすれば、医療との分業化が確立して、学習内容や会の運営は現在とはかなり違うものになっていたのではないかと思っております。そして会員は1万人、3万人規模で増えていた可能性があります。 現在は森田理論学習の原点回帰が求められているのだと思います。 本来の学習の原点に戻れば、必ず森田理論学習は復活するというのが私の立場です。なぜなら現在、神経質者の人生観の確立、生きづらさの解消までを視野に入れた学習運動、自助組織は生活の発見会以上のものは見当たらないからです。 今はジャンプでいえばしゃがみこんで力をため込んでいる時ではないか。 そして勢いよくこれから世界に向かって大きく羽ばたくタイミングを待っているのです。それが森田で恩恵を受けた人たちの社会に対する恩返しではないかと思っております。 以上は、「忘れられた森田療法」(岡本重慶 創元社) 159ページあたりを参照しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.15 06:30:18
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