カテゴリ:森田理論学習の進め方
集談会にやってくる人たちは、不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されている人たちです。重度の神経症で生活に支障のある人は、クリニックにかかっていると思われます。集談会に参加している人は、葛藤を抱えながらなんとか生活できている人たちです。
生きづらさの解消を求めてネットで検索しました。 その結果、森田療法や生活の発見会という自助組織の存在を知りました。 早速生活の発見会の本部に問い合わせました。 そして地元の集談会を紹介されました。 疑心暗鬼で恐る恐る地元の集談会に参加してみました。 その結果はどうだったか。とくかく参加者が少ない。覇気がない。 内容もよくなかった。たいしたことはない。理論がよく分からない。 なんだか傷のなめ合いをしているみたいだ。 治っている人もいたが、莫大な時間がかかりそうだ。 考えて見れば、個人の名前を治療法に付けているのはなんだか怪しい。 新興宗教に近いのではないか。 1回参加しただけで雰囲気はよく分かった。 もう二度と行くことはないだろう。 即効性のある薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法があるのだからそちらのお世話になろう。 残念ながら、こういう人が多いのでないかと推察する。 この問題を我々森田理論で恩恵を受けてきた者としてどう考えたらよいのだろうか。生活の発見会という自助組織が生き延びる道、森田理論学習が未来永劫にわたり継続される道は残されているのか。 難しい問題ですが、私は自信をもってその道は残されていると宣言したい。 ただし今のままでは心もとない。大胆な発想の転換が必要だ。それは何か。 未練はあるが症状森田から距離を置くことだと思う。 症状を問題にする今までの方向から転換することです。 医療やカウンセリングや他の精神療法と競合する分野からは完全に撤退すること。 そして独自の道を模索していけば再び脚光を浴びる日が来る。 森田理論の中身はこれはと思う素晴らしい内容が含まれています。 これは神経症治療として森田療法を活用する方向からは決別することです。 神経症というのは、不安などにとりつかれて、精神交互作用で蟻地獄に落ち込んだようなものです。 そこから地上に這い出るというのが神経症治療としての森田療法です。 考えて見れば、森田先生から始まった森田療法は、生活の発見会の活動を含めて、その一点にフォーカスしてきたのです。 それを放棄することは、森田の存在意義がなくなってしまうと思われるかもしれません。なかなか受け入れがたいと思います。 生活の発見会の森田理論学習に、薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法などと競合しない分野があるのか。それが一つだけあります。 神経質性格者が、人生100年時代を迎えて、神経質性格を活かした人生観を確立するという分野です。 現在人生観の確立を目的として活動している団体はほぼ見当たりません。 全て症状を取り去るか軽減させることを目標にしています。 しかし、神経症予備軍の人が、集談会に参加して、いくら神経症からの解放の方法を教えてもらっても、他にもっと良い方法がごろごろ転がっている状況です。 わざわざ火中の栗を拾いに行く人がいるでしょうか。 そんな人はよほどおめでたい人と言わざるを得ません。 集談会が神経症の克服という目的を離れ、神経質性格者としての生き方にフォーカスした活動をはじめたとき、改めて脚光を取り戻すに違いありません。 それは、今まで求められながらも、放置され続けた分野だからです。 今まで手付かずのブルーオーシャンの世界が目の前に広がっているのです。 集談会では、基本的には神経症からの克服を取り上げることは中止すべきと考えます。全てとは言いません。それだけを中心に据えた活動は自粛すべきです。 アリ地獄から地上に出る方法は、他の専門家に任せればよいのです。 我々はその人に合った適切な医療機関、専門医、カウンセラー、精神療法を紹介してあげることです。 そのために、森田の協力医、カウンセラー、さまざまな精神療法の知識や情報は必要です。 神経症の克服は集談会の役割ではないと決意したら、未練がましくそこにしがみついてはいけません。それにつがみつくと益々組織の停滞に拍車がかかるのです。 集談会の役割は、神経質性格の活かし方、神経質性格を活かした生き方を参加者が一緒になって模索していくところです。 主要なテーマは次のようなものになるでしょう。 不安の特徴や役割、不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、生きがいとは何か、欲望の制御能力の獲得、「かくあるべし」の弊害、事実優先の態度の養成、変化への対応、物の性を尽くす、不即不離、バランス、調和、人間関係の在り方、仕事との付き合い方、子育て、社会や自然との共生などです。 この分野では私たちは相当なノウハウを積み上げています。 そしてその活用例の情報交換をして、参加者全員がどんどん刺激を与えあうことが大事です。こんな学習会、自助組織、集談会が待ち望まれているのです。 この分野は更地です。前途洋洋です。 方向転換してこの分野に進むのか、旧態依然として神経症からの克服に甘んじた活動を続けていくのか。どちらの道を選択するかで、森田理論学習の盛衰は決まってしまうでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.06.13 06:31:19
コメント(0) | コメントを書く
[森田理論学習の進め方] カテゴリの最新記事
|
|