カテゴリ:野菜作り、花、風景、川柳、面白小話など
この本の主人公は神谷玄次郎である。
江戸北町奉行所の定町廻りの同心である。つまり殺傷事件の刑事である。 岡っ引きの銀蔵親分と二人三脚で殺人事件を解決する話が8編ある。 江戸時代に実際にあった事件を小説にしているという。 玄次郎の推理力は抜群で、卓越した勘とひらめき、さらに鋭い洞察力によって犯人を追い詰めていく。 ただしそれは事件があった時だけである。 普段の神谷玄次郎の勤務態度、生活態度は問題だらけである。 まず真面目に奉行所に出勤しないのである。 気が向けば出勤するが、あとはずぼらで適当にしている。 欠勤3日というのは当たり前で、上司に疎まれている。 そんなことを一向に気にしない玄次郎の態度はいつも顰蹙をかっている。 かろうじて首がつながっているのは、いくつもの難事件を解決してきた過去の実績がものをいっている。 それがなければとっくの昔にクビになっていてもおかしくない。 さらにそれに輪をかけて生活態度に問題がある。 現在独身の玄次郎は、蔵前の北にある三好町の小料理屋よし野の女主人お津世という女性とねんごろの仲になっていて、その店に入り浸っている。 知り合ったきっかけは、亭主を殺された犯人を玄次郎が捕らえたことであった。 以来、玄次郎はよし野のお津世といい仲になったのだ。 お津世もそれを受けいれているが、家には3歳の子どもがいる。 江戸時代は事件の関係者である小料理屋のママと同心が不倫状態にあることは、決して見逃すことは出来なかったのだ。 幼い子供も心の傷を背負う可能性が高い。 ちゃんとした嫁も貰わず一家も持たない玄次郎は、上役にやくざな半端者とみなされても仕方ない。だから出世は望むべくもない。 この小説を読んで感じたのは、釣りバカ日誌の「ハマちゃん」であった。 「ハマちゃん」も勤務態度は問題だらけだった。 普通ドラマの刑事といえば、品行方正で非の打ちどころのない役どころが多いが、神谷玄次郎は「はぐれ者」である。 藤沢周平氏はどうしてこのようなキャラクターの人間を主人公に選んだのだろうか。私が思うには、理想通りの完璧な人間なんてめったにいるものではない。 希望に燃えている瞬間があっても、次の瞬間には自暴自棄になってしまうのが人間だ。病魔に蝕まれることもある。突然家族に不幸が襲ってくることもある。 大きな自然災害や事故に巻き込まれることだってある。 戦争に駆り出されたり、理不尽な争いに巻き込まれたりすることだってある。 欠点、弱点、ミス、失敗、後悔を抱えて何とか生きているのが人間ではないのか。そういう現実の中で危ない橋を渡りながら生きているのが人間である。 人を騙したり、人に騙されたりしながらなんとか生き長らえているのが人間の偽らざる事実である。 藤沢周平氏は、理想の人間よりも、現実の世界でのた打ち回りながら、一生を過ごす人間を描きたかったのではないか。 そういう人の味方であることをひしひしと感じる。 だから藤沢周平のファンが多いのだと思う。 心の傷を抱えながら、四苦八苦しながら毎日を生きている人にとって、オアシスにたどり着き、一杯の水にありついた気持ちにさせられる。 かくいう私もその一人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 23:27:53
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