カテゴリ:森田理論学習の進め方
私の参加している集談会は今年の10月で発足50周年を迎えます。
半世紀も継続していることは、実に感慨深いものがあります。 1973年第1回広島集談会が広島市公会堂で開催された。 これは1970年に新生生活の発見会が産声をあげてからわずか3年後のことだった。 集談会を軌道に乗せるために、長谷川洋三氏をはじめ、入れ代わり立ち代わり本部役員や協力医の先生が出席されていた。 おかげさまで広島集談会はその後10年、20年はどんどん参加者が増えていった。そして、広島土曜懇談会、岩国集談会に根分けしました。 ところがバブルがはじけた3年後から参加者の減少が始まった。 30年、40年目までは参加者の減少期であった。 それも年を経るたびに減少が続き、歯止めがきかなかった。 それにコロナが追い打ちをかけた。 コロナが収まっても昔の幹事・世話人が戻ってくれないのである。 うつ病などの心の病や生きづらさを抱えている人が増加しているにもかかわらず、森田に救いを求める人はきわめて少ない。 その原因としては、森田の認知度が低いという面もあるが、主な原因は薬物療法、認知行動療法をはじめとした精神療法、カウンセリングなどが脚光を浴びるようになってきたことだ。 つまり神経症治療としての森田療法は、森田先生の時代と比較すると格段に小さくなっているのです。 森田療法を取り入れて治療に当たられておられる協力医や臨床心理士の場合は問題はないと思います。 なぜならあまたある治療法の中から森田療法を選択された方々の受け皿が必要になるからです。 ところが集談会が、神経症を克服するためだけの学習というのはちょっと筋が違うのではないかと思っています。 なぜなら、生活の発見会の協力医や臨床心理士の先生方と同じ土俵に乗ることになるからです。 あるいは、薬物療法、あまたある精神療法、カウンセリングなどと競合することになるからです。 競合した場合、専門知識や経験、ノウハウを豊富に蓄積されている先生方とは勝負になりません。 大人と子供が相撲を取るようなものです。 神経症の蟻地獄から地上に這い出すまでは、専門家に任せるのが得策だと考えます。 絶対に手を出してはいけないというわけではありませんが、治すだけの学習をしているとますます衰退してきます。それでは集談会の存在意義はどこにあるのか。 神経症の蟻地獄から地上に這い出たとしても、社会経験の乏しい私たちは、そのまま社会の荒波に放り出されてもうまくやりくりできないことが多くなります。 人生100年時代を迎えていますが、私達にとっては苦難の人生の始まりです。 神経質性格を持った人が、しっかりとした人生観を確立することは極めて大事な問題です。 具体的には、仕事への取り組み方、日常生活の楽しみ方、人間関係のコツ、子育て、心身の健康維持、自立した生き方などを森田理論学習によってつかみ取ることが大事になります。 ここに特化した活動は競合することはありません。集談会の独壇場となります。 学習方法や内容を色々と工夫していけば社会の中で存在感を放つことが可能となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.07.28 06:45:51
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