カテゴリ:森田理論学習の進め方
森田理論を36年間学習してきました。
途中で森田では自分の悩みは解決しないと思うことがありました。 学習の限界を感じて、森田から離れようと考えたことも何度もありました。 結果的にはなんとか踏みとどまってきました。 それは集談会の中で世話活動をしていたことが大きかった。 自分から進んで世話活動をしていたわけではありませんでしたが、結果的に世話活動が森田に踏みとどまる役割を果していたのです。 森田から離れていたら神経質者の人生観の確立に至ることは不可能でした。生きづらさを乗り越えることができたのですから世話活動に感謝しています。 森田に限界を感じていた時は、「人生の踊り場」にいたのだと思います。 人生の踊り場にいるときは、将来の展望が見えない時です。 このまま森田にしがみついても何にもならない。時間の無駄だ。 他の手段に切り替えた方が得策だと考えるようになります。 現代は薬物療法、精神療法、カウンセリングなどいろいろな道が用意されています。苦しいのでその苦しみを和らげることにはなんでも手を出していくようになります。 私が尊敬している玉野井幹雄氏も森田に限界を感じていたと言われています。 玉野井さんは大分の片田舎に住んでいて一人で森田の学習をされていました。 玉野井さんは30年もかかって神経症を克服された方ですが、その途中でこんなことがあった。 私は、「森田」にある種のいきどおりを感じて「森田」を捨てることになりました。 この症状が治らないんだったら、「森田」なんかのお世話になる必要はない。 そんな余分なものは捨てた方がよい。 その時は本当にそう思いましたので、あまり迷うこともなく「森田」を捨てることができました。 つまり、自分から「森田」に見切りをつけたのであります。 そして「森田」関係の本を目につかないところに隠してしまいました。 もちろん「生活の発見誌」がきても読みませんでしたし、とにかく「森田」のことは考えない、見ない、聞かないようにしたのであります。 そういうことで、今までいつも心の中にあった「森田理論」というものがなくなったお陰で、私はずいぶんさっぱりとした気持ちになりました。 今考えてみますと、当時の私は森田中毒症になっていたように思います。 それまでは、こうするのが「森田」だとか何とかいう「かくあるべし」のような理屈がいつも心の中にあって邪魔になっていましたが、そういうものがすっかりなくなったわけです。 そうして、私に残ったものは何かと申しますと、症状に苦しんでいる自分と、自分を含めた家族の生活を維持してゆかねばならないという現実であります。 生活を維持していくために、私はできる限り少しでもプラスになるようなことをしていかなければならない。 そうしなければ自分も家族の生活も破綻することになる。 そういう危機感を切実に感じ取ったのであります。 治すためにするのではありません。治らないからこそそうせざるを得ないのであります。 (いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 73ページ) 森田にしがみついておくことも大切ですが、長らく壁にぶち当たっている人は、一旦森田から離れてみることは悪いことではありません。 これは海外旅行をすると、日本の良いところや問題点が見えてくるのと同じことだと思います。 そうしないと森田の良いところが認識できないという側面があるのです。 その間を利用して他の精神療法の研究をしてみる。 自分のやりたいことや別のことに取り組んでみる。 玉野井氏のように自分や家族の生活を立て直す。子育てや親の介護に取り組む。 どうせ壁がぶち破れないのだったら、一旦森田を突き放してみる。 そうすると意外にも踊り場から抜け出すことができる場合がある。 森田中毒症にかかると、深い霧の中で車を運転しているような状態に陥ってしまう。 いったん森田から離れて、森田のすばらしさを再認識した人は本物だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.28 06:31:01
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