図書館で横尾忠則著『絵画の向こう側・ぼくの内側』というエッセイ集を手にしたが・・・
各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。
巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。
【絵画の向こう側・ぼくの内側】
横尾忠則著、岩波書店、2014年刊
<「BOOK」データベース>より
絵画とは何か。描くとはどのような行為なのか。アトリエで、記憶の中から、人や物との出会いの瞬間ー創造への道は開かれる。日常の中で問い続けた独自の思索を集成する、横尾忠則的現代美術への旅。
【目次】
1 美術の森羅万象(初めに破壊ありき/絵の中の文字のこと ほか)/2 現在という場所(絵が描き手を導く/見えないものは描かない ほか)/3 カレイドスコープ(アンリ・ルソーールソーと戯れる/パブロ・ピカソー無意識下のピカソへの軌跡 ほか)/4 記憶からの視線(星空からの視線/「夢枕」に立った龍 ほか)
<読む前の大使寸評>
各お話が、それぞれ2~3頁におさまり、まとまっていて読みやすいのである。
巻末の説明によれば、週刊「読書人」2011年4月から2013年7月に連載された原稿を加筆訂正したものとのことで・・・納得した次第です。
rakuten絵画の向こう側・ぼくの内側
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まず、皆さんに受ける犬猫論から見てみましょう。
<タマ、ミンネ、バーゴ>p94~95
犬派と猫派がいるらしいが、ぼくは断然猫派だ。ネズミ年だが猫が好きだ。どこが?といわれても猫の全てが好きだ。どんなブチャムクレな顔の猫でも猫であれば文句は言わない。
現に今いるわが家のタマは、野良猫出身だった。庭に野良猫が何匹も来るが、その中の一匹が台所から入ってきて、とうとうわが家の一員になった。
野良どうしのケンカで負けたのか右目の眼球の虹彩にかげりがあって、トロンとしているが、左目だけを見ているとなかなかの美人猫だ。ケガさえしていなければと思うことがあるが、かえって可愛い。
でもタマが自らの運命に果敢に挑戦してわが家を選んでくれたのだから、感謝しなければいけない。他の野良猫だって家猫になりたいと思っていたかも知れないが、やはり勇気と運がなかったのだろう。
タマが来てからすでに十数年になるが、その前にはバーゴという母猫とその長女のミンネという猫がいた。二匹ともキジ猫で見分けがつかないほどよく似ていた。いつも二匹がくっついて行動し、寝る時も向かい合ってハートの形になっていた。この親子はもっとたくさんいた猫の中で最後まで生き残ったニ匹だった。本当は5,6匹いたのだが、大半が交通事故などで死んでしまった。
しかし、このバーゴもミンネもやがて死ぬ運命にあったのだ。親猫のバーゴは、ガンになって痩せ衰えて死んだ。その3日後に娘のミンネも死んだ。親が死んだ日からいっさい物を食べなくなって、3日目の暴風雨の寒い夜に忽然と姿を消してしまった。猫は雨が大嫌いなのに物凄い雨と嵐の中家出をしてしっまったのだ。ぼくは直感的に死出の旅に出たのだろうと思った。そしてとうとうミンネは帰ってこなかった。
(後略)
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大使は横尾忠則現代美術館のリピーターであるが、この美術館の開館時のお話を見てみましょう。
<開館、横尾忠則現代美術館>p129~130
神戸にぼくの名を冠した「尾忠則現代美術館」が、11月3日(2012年)に開館することになった。発端は、東京にある作品収蔵庫に支出する金額が多額なため、地方で作品を保管する場所を検討していた頃、以前から既知の井戸敏三兵庫県知事にこのことを漏らしたところ、即座に、「横尾さんの美術館を作ったらどう?」という思いもよらない知事の発想によって、それが数年後に実現したというわけである。
神戸はぼくが高校卒業後、勤めた神戸新聞社で、グラフィック・デザイナーとして人生のスタートを切ると同時に結婚した妻との出会いの場でもあることから、生誕地西脇に継ぐもうひとつの郷里でもある。まあ言ってみれば、神戸はぼくのフランチャイズと言えよう。
そんなかけがえのない思い出がいっぱいつまっている土地に、ぼくの個人美術館ができたわけだから、感謝すると同時に喜ばないわけにはいかない。まさに天からのプレゼントである。
(中略)
この美術館の立地条件は非常によく、目の前には王子動物園と神戸文学館もある。またこの場所から山(六甲山)に向かって歩けば、新婚当時住んでいた青谷もある。だからある意味で里帰りをしたようなもので、この辺りはあまり散策をしたことがないので詳しくは知らないが、気分としては55年前(1957年)の場所に戻ったサケになった気分である。
妻のようにぼくは「神戸っ子」ではないが、神戸に個人美術館が開館したことは、人生の終わりに出合った何か大きい運命のようなものを感じないわけにはいかない。
この美術館にはぼくの寄贈作品のほかに寄託作品もあり、年四回の企画展が計画されている。その第1回展は「反反復復反復」と名づけられ、ぼくの反復作品を過去から現代の新作まで、その代表作で鑑賞していただくことになる。反復作品はすでに採り上げたが、時代を超越して同一モチーフが再び繰り返して描かれている。
ぼくの全ての作品はある意味で未完である。従って同一のモチーフをたびたび反復することで、未完の部分を別の作品で埋めていく作業でもある。
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