図書館で『はじめての八十歳』という本を、手にしたのです。
わりと乾いたペーソスが感じられる文章であるが・・・論理より絵で表現してきた職業柄が出てきたんでしょうね。
【はじめての八十歳】
山藤章二著、岩波書店、2017年刊
<「BOOK」データベース>より
膝の手術のため、はじめての長期入院。「ブラック・アングル」などの雑誌連載も、はじめて休載。そして、入院中に迎えた八十歳の誕生日。-おや、今までとは違う世界が見えてきた。若いころは気付かなかったこと、思いがけない発想など、脳裏に浮かぶあれこれを、筆の向くまま綴り始めたら止まらない。入院中に蓄積された創作エネルギーを放出するかのごとく、一気にこの一冊を書き下ろした。曰く「好き嫌いで書きました」。御存知ヤマフジ節は健在である。八十歳の本音を綴る、論より感覚、御意見無用のエッセイ集。
<読む前の大使寸評>
わりと乾いたペーソスが感じられる文章であるが・・・論理より絵で表現してきた職業柄が出てきたんでしょうね。
rakutenはじめての八十歳
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冒頭の「はじめての八十歳」あたりを、見てみましょう。
p7~12
<はじめての八十歳>
私事で恐縮だが、永らく入院していた。右脚ヒザに人工関節を装着するのに、術前術後ひっくるめて百日余を要した。長い。およそ休みの嫌いな、勤勉人間の私としては、人生設計にない長い空白になった。
入院中に八十歳の誕生日を迎えた。
連載していた仕事は全て休職した。仕事をしていない状態の年寄り、というのを身をもって体験した。同時代人たちが次々とあの世に逝く。あっという間に逝く。ドサクサに紛れて私も逝きたかったが叶わなかった。
とり残された私はあせった。老いの淋しさを忘れられる趣味はない。旅行は脚が不自由だから駄目、寄り合いはもともと好きじゃないから駄目、盆栽は面倒くさいから駄目、イヌネコは好きじゃない、笑芸は大好きだったが、昨今の若手相手の笑いは喧ましいだけで駄目。ひとつずつ消してゆくと、楽しみを与えてくれるものは皆無と気付く。えらいことになった、余生をどう過ごそう。
テレビを点ければ、B級C級クラスのタレントが次から次と現れては楽屋噺ばかりしている。新聞や雑誌でもと思うと、字が小さくて読めない。一番面白いのは新聞に出る単行本の広告。目立つタイトルから中身についての想像を働かせる。「医者にかかると死ぬぞ」、なんてのは、何やら刺激的で挑発的で気になる。だが、読んでみるとコピーの切れ味は凄いけれど大したことがない。
このところ脅迫めいた商品のCMが多い。そういえば戦後しばらくは「押し売り」隊が一般住宅に訪れて来た。何を売るのかって? 「ゴムひも」ですよ。これが定番だった、近頃じゃコントでもやらない。
ひと様が投げかけてくれるものに期待しているだけじゃ、満足できるわけがない。ならどうする? 問題点も自分で考えよう。
* * *
真夜中、さっき横になったばかりで、眠りの底にまで到達していないのに目がさめる。 いろんなこと、もの、モンダイが、わが頭脳を訪れるので、とても睡眠の至福の境地に辿りつけないのだ。
さいわいと言うか、八十歳の老人には当然だが、翌日の予定がない。したがって眠っておかなければ、という切迫した理由もない。それより起きて訪れた諸問題について考えた方が心身によい。
「人間は考える葦である」と、誰やら偉いひとが言っていた。誰やらという所に固有名詞をきっぱり入れればいいのだが、学がないから言えない。この言葉はアッシと言ってるくらいだから明治の江戸っ子だろうと、下手なオチをつけてひとりでニヤリとする。あー、孤独だ。
学がない、というのは哀しいことだ。ふり返ってみると、私が育ってゆく過程で、「学」というものに出会って来なかった。学問、学友、学歴、学識・・・、いっさいナシ。男が社会的信用、評価を受けるのは何と言っても「学」であること、現実を見れば明々白々の事実である。
(中略)
そういうことに、八十歳になって気がついた。ずいぶんと奥手である。どうせなら、死ぬまで気がつかなかった方がシアワセだったかも知れない。
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週刊朝日 山藤章二の似顔絵塾 掲載作品一覧を付けておきます。