図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。
ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。
【イスラム10のなぞ】
宮田律著、中央公論新社、2018年刊
<「BOOK」データベース>より
今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!
<読む前の大使寸評>
ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。
rakutenイスラム10のなぞ |
「なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?」を、見てみましょう。
p185~190
<なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?>
「スンニ派とシーア派の違いは何ですか」。講演会などでよく聞かれる質問である。スンニ派とシーア派はイスラムの最も大きな宗派的分類であり、現在の中東情勢を理解するうえで必要なカギとなる。
シーア派は、予言者ムハンマドの正当な後継者は彼の娘婿であるアリー(アリー・イブン・ターリブ661年没)とする。 スンニ派は、予言者ムハンマドは4人の正統カリフによって継承され、アリーはその4代目であると考える。両者の間には大きな教義的な隔たりはない。
■抑圧されるシーア派
イラクでは、イラク戦争後にスンニ派とシーア派の対立が鮮明になったが、イラク人からフセイン政権が倒れるまで両宗派の住民たちは仲良く暮らしていたという声にも接した。クエートのイラク・レストランではスンニ派、シーア派の人々が一緒に食事をしていた。
イラク戦争において、米軍など多国籍軍がスンニ派を信仰するサダム・フセインの旧勢力を弱体化させるためにスンニ派とシーア派の対立を意図的に煽ったことは否定できない。
現代のスンニ派とシーア派の対立は、メッカとメディナというイスラムの聖地をサウジアラビアにもつアラブ民族と、シーア派教徒が多く占めるペルシャのイラン民族との対立が主要因となっている。イラク戦争でスンニ派のサダム・フセイン政権が崩壊すると、イラクではシーア派主導の政権が成立し、イランの影響力が強まった。サウジアラビアのシーナ派に対する警戒も高まった。
中東イスラム世界における近代化はスンニ派が優勢な国家のもとでまず行われた。欧米をモデルにした近代化は、地域の不均等とシーア派とスンニ派の間の経済的ギャップをもたらした。シーア派が多くを占める地域の、レバノン南部のジャバール・アミール地方、イラク南部の湿地帯、アフガニスタンの中部高地などでは近代化が遅れた。
シーア派住民は、生活の向上を求めて大都市に大量に流入し、ベイルート、バグダード、カブール郊外に貧民街を形成するようになる。社会における不平等感ははじめに左翼思想、続いてイスラム原理主義を受容する素地となった。イスラム原理主義は、イスラムの公正、平等という宗教原理に基づいて現代社会を改善すると考える。このように、イスラム原理主義に最初に傾倒していったのはシーア派の人々であった。
「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念は、1979年のイラン革命の指導者であるホメイニによって強調された。ホメイニによれば、シーア派教徒はあらゆる宗教の被抑圧者を代表する。そして、イランの被抑圧者がイスラム革命を輸出することによって世界の抑圧された人々を救済することができると考えた。このように、シーア派の原理主義的な主張は「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念と強く結び付く。イラン革命の成就は、シーア派のみならず、チュニジア、トルコ、エジプトなどスンニ派諸国の原理主義運動、イスラム復興のうねりに弾みを与えることになった。
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「イスラム10のなぞ」1:はじめに