図書館で「町田忍の昭和遺産100」という本を手にしたのです。
「昭和遺産100」ってか・・・
表紙に書かれたコピーに惹かれて、チョイスしたのです。
【町田忍の昭和遺産100】
町田忍著、山と溪谷社、2021年刊
<「BOOK」データベース>より
【目次】
第1章 BEST20昭和の玉手箱/第2章 輝き続ける商品/第3章 永遠の建築/第4章 愛される乗り物/第5章 30・40年代グラフィティ/第6章 元気な「サイン」/第7章 娯楽の殿堂/第8章 街頭のシンボル/第9章 絶滅危惧種/第10章 事件・文化・モノ&流行年表/第11章 町田忍 昭和研究60年あゆみ
<読む前の大使寸評>
追って記入
rakuten町田忍の昭和遺産100 |
「第4章 愛される乗り物」でオート三輪を、見てみましょう。
p118~119
<オート三輪>
■4輪よりも3輪の生産が多かった
昭和30(1955)年代、あちこちでバタバタと音を立てて走り回っていたオート三輪は、日本で独特の発展を遂げた。実は昭和30年代の初期まで、日本の自動車メーカーは、4輪よりも3輪を多く生産していた。理由は戦後の一時期、GHQによって4輪自動車の生産制限を受けていたからである。
生産していたオート三輪の主なブランドは、マツダ(東洋工業)、くろがね(日本内燃機)、みずしま(新三菱重工業)、ヂャイアント(愛知機械工業)などであった。
昭和22(1947)年12月の自動車取締令の改正で、オート三輪のエンジンは1500㏄まで拡大することが可能となり、積載量の大きな大型のオート三輪も登場している。
■フロントがかわいいミゼット
当時、庶民の間で話題となったのが、ダイハツのミゼットだった。昭和32(1957)年の登場で、250㏄の小型エンジンを搭載。初期型はバイクと同じバーハンドルであった。それまで小荷物は、バイクの荷台やリヤカーで運ぶのがせいぜいだった商店街の店主がこぞって購入。大人気となった。
昭和34(1959)年10月のミゼットの新聞広告を見ると、廉価版のD系型が18万4000円(メーカー希望小売価格は19万8000円)。日本銀行が公表している消費者物価指数に照らし合わせると、現代の100万円超に相当する。
ミゼットはこの年、デザインを一新して丸ハンドルとなり、昭和47(1972)年まで生産が続いた。オート三輪の活躍は、日本のモータリゼーションが世界に飛躍する前夜祭のような趣があった。現在、ごくまれに街で見かけると、私は心の中で「頑張れ!」と応援するのである。
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ダイハツ3輪CM型(1,5トン積)