図書館に予約していた『南海トラフ地震の真実』という本を、待つこと7ヵ月ほどでゲットしたのです。
気象庁の公表情報でも発生確率70~80%という数値が出ているわけで・・・この本の告発が興味深いのである。
【南海トラフ地震の真実】
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小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊
<「BOOK」データベース>より
「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!
<読む前の大使寸評>
気象庁の公表情報でも発生確率70~80%という数値が出ているわけで・・・この本の告発が興味深いのである。
<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>
rakuten南海トラフ地震の真実
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「おわりに」にこの本の作成時の裏話が載っているので、見てみましょう。
p234~237
<おわりに>
本書は関東大震災から100年を迎える2023年9月1日前の刊行となった。よく周囲から「首都直下地震は30年以内に70%の確率で発生するといわれているけど、この確率の出し方に問題はないの?」と聞かれる。実は専門家に聞くと、「南海トラフよりも『えこひいき』した確率の出し方をしている」と言う人も多い。
「元禄地震」と「関東大震災」は、関東を襲ったM8クラスの巨大地震だ。二つの地震は約220年の間が空いているが、関東ではこの220年の間にM7クラスの地震が8回発生した。単純計算するとM7クラスの地震は27.5年に1度起きていることになり、これを30年確率に当てはめると70%という確率が出る。地震本部は「相模トラフのプレートの沈み込みに伴うM7クラスの地震」の確率としているが、内閣府はこれを首都直下地震の確率として紹介している。
えこひいきのゆえんは、8回の地震の発生した領域の広さだ。首都直下というと23区内をイメージする人が多いのではないか。8回の地震の中には、1855年の安政江戸地震のように東京都の千代田区、墨田区、江東区などを強い揺れが襲ったものもあるが、他にも茨城県南部や神奈川県の小田原、三浦半島付近で起きた地震も含まれる。首都直下というよりは「関東直下」の方がイメージは近いだろう。
大都市は災害に弱く、首都が大地震に見舞われたら国が破綻しかねない被害になることは目に見えている。備えるのは当然だ。だが「30年間で70%」という伝え方は、地震の切迫性をアピールするため、わざわざ近隣の地震をかき集めて高い数値を出すような「せこいまね」をしているようにもみえる。
取材ではさまざまな立場の人から「確率を出さないと地震学の存在意義がない」「低い確率を出すと防災予算が下りない」などとの声を聴いた。確率は地震学や防災、政治の思惑が複雑に絡み合い、本質的な意味が見えにくい情報になっている。本当に必要な情報とは何か、立ち止まって考え直すべきだろう。
この問題を記事にする上で、乗り越えられないと思うような困難が幾度もあった。それがこうして1冊の本に仕上がったのは、奇跡とも思える出会いが連続したからだ。
まず、きっかけとなった鷺谷威名大教授の「告発」は、ともすれば告発した鷺谷氏が不利益を被る恐れがある内容だった。鷺谷氏が覚悟を決めて世に伝えたかった思いを、居合わせた私がたまたま受け取ったことで取材が始まった。しかし、この問題意識をどう記事化するかには苦労した。
私のプレゼンテーション能力が足りないことも手伝い、デスク陣に説明をしても「議論の過程で出た裏話」「科学的論争の一つ」と、一般の紙面で報じるのはそぐわないと判断されることが多かった。ただでさえ難しい科学のテーマだ。しつこく一般記事での掲載を求める私の姿は、日々のニュース対応で忙しいデスク陣の目にはさぞかし困った部下に映っただろう。
そんな時、助けの手を伸ばしてくれたのはニュースの深堀りをする中日新聞の特集面「ニュースを問う」の担当デスクをしていた秦融編集委員(当時)だった。私は秦デスクに「相談がある」とだけ伝え、会社から少し離れたファミリーレストランに呼んだ。簡単な雑談を終えると、秦デスクはテーブルに腕を置いて少し身を乗り出し、「で、ネタは何だ」とメガネの奥の目をギラリと光らせた。
約3時間に及ぶ打ち合わせの末、秦デスクは「南海トラフの高確率がきっかけで他地域に油断が生まれているとしたら、中部の新聞社としては見過ごせない」と、同面での記事化を約束してくれた。
こうして、2019年秋に何とか新聞連載として形にすることができたが、この問題を全国区のものに押し上げてくれたのはライバル紙の科学ジャーナリストたちだった。当時朝日新聞大阪本社科学医療部長で、地震学者の間でも有名な黒沢大陸氏は自らのツイッターで「中日新聞さん、よい仕事だった。やられた」と、連載を紹介してくれた。また、元読売新聞科学部デスクで今はサイエンスライターの保坂直紀氏は連載を読み、「不都合な科学は隠してしまえばよいのか。科学と社会はどう付き合っていくべきなのか。連載の背後に大きな問いかけを感じる」とメールをくれ、科学ジャーナリスト賞に推薦してくれた。
本書を書く上で最も大切だったのは、橋本学東京電機大特任教授の存在だ。橋本氏は確率の検討当時から科学のあるべき姿を貫き通そうとした気骨の地震学者だ。鷺谷氏や橋本氏が当時海溝型文化委員でなければ、「確率がえこひいきされている」とここまで問題にならなかったかもしれない。また、室津港の水深データの問題を高レベルな科学的議論として指摘できたのは、ひとえに橋本氏の執念ともいえる調査・研究があってのことだ。共同研究のメンバーの加納靖之東大准教授の協力も欠かせなかった。
高知での出会いにも恵まれた。先祖から子孫へ約300年間、連綿と受け継がれた久保野文書。史料の保管が難しくなる昨今、久保野由紀子さんがいなければ文書は失われていたかもしれない。高知城歴史博物館で文書の整理を担当した学芸員水松啓太氏が、偶然にも地震学を専攻していたことも幸運だった。水松氏のさまざまな指摘は研究を大幅に進展させた。
室戸ジオパーク推進協議会の専門員小笠原翼さんにはヒントとなる資料を献身的に提供していただいた。小笠原さんから紹介された室戸の郷土史家の多田運さんからは、室戸ならではの習慣や歴史など多くの知見を示してもらった。多田さんは2023年5月に死去された。本書をお見せできなかったことは残念で仕方がない。ご冥福をお祈りしている。
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『南海トラフ地震の真実』2:「えこひいき」の80%(続き)
『南海トラフ地震の真実』1:「えこひいき」の80%