日本の各地で、和紙が産業あるいは工芸として作られていて、興味深いのである。
・・・ということで、以前の日記を以下のとおり復刻してみようと思い立ったのです。
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図書館で「和紙と暮らす」という本を借りたが・・・
この本から故郷土佐の楮・三椏栽培のあたりを紹介します。
大使が和紙に描くイメージは、森林に寄り添う産業という感じで、何と言うかエコロジーそのものなんですよ。(過酷な作業が見えないところが、極楽トンボなんですが)
<楮・三椏栽培>p37~39
![甑](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1ab1dd209763a3974f5f81f2851de5a06b1baf7f.26.2.9.2.jpeg)
高知県の山あいの農家では、昭和30年ごろまで、県内では最高品質の赤楮(あかそ)と呼ばれる楮が生産されていた。現在はユズやお茶などの栽培に変わり、楮の姿を見かけることは少ない。それでも今なお、雪の残る山道で、畑で刈り取った重い楮の束を担いで釜床まで運ぶ姿を目にする。
楮は鎌で一本一本刈り取られる。枝を払い、4尺2寸(125センチ)の長さにきっちり揃える。蒸し器である甑の寸法に合わせたサイズだ。それを40本から60本くらい束ね、しっかり縛り、釜場まで運ぶ。釜場のある農家の庭先や山の斜面などでは、甑の径に合わせてさらに大きな束になった楮が、ごろんと横たわる。
いよいよ楮を蒸す段になると、村の集落は朝から活気づく。一家総出あるいは、昔から「結い」を結成している里では、近所の皆が手伝いに集まる。早朝3時頃より釜を焚いて、甑で楮を一度蒸すのに3時間は燃やし続ける。厳冬の甑上げでは、もうもうと上がる真っ白な蒸気は、向こうの山も周囲の物も甑自体をも包み消してしまう。
蒸しあがった束には総出で水をかける。水をかけ急激に冷やすことで、楮が収縮し、皮が剥ぎやすくなるという。
三椏は沈丁花科の落葉木で、苗を植えてから成木になり、刈り取るまでに3年かかる。3年ごとに収穫された三椏は、大蔵省印刷局に納入され日本銀行券となって日本全国に出回る。子どもの頃、楮は和紙に、三椏はお札になると親から教えられたものである。
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次に楮や三椏の生産者について、ネットで探してみました。
楮農家の紹介より
![楮](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b79c2fae9ac8687edef233c4fe2b2711d577f350.26.2.9.2.jpeg)
土佐和紙の原点は、楮。
楮には、様々な種類があるが、農家さんたちは、ひっくるめて「梶」と呼んでいます。
楮は、山間に建つ野村家の裏山や、清らかな清流を挟んだ向かい側の斜面で育てられています。日当たり抜群です。
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楮原料の多くはタイなどからの輸入品に置き換わって、楮畑や甑上げなどが少なくなったそうだが、その生々しい実態までは知りません。
和紙は耐久性に優れる。繊維が長いため、しなやかで丈夫。高知県産の極薄和紙が、欧米の書籍修復に重宝されているそうです。透けるような紙なので、上から貼っても文字や絵がみえる。日本の刷毛とのりと和紙は修復家の羨望の的だとか。
「かみこや」というサイトを知ったけど、オランダ人が三椏、和紙の生産に着目したことに・・・・逆に惹かれるわけです。
和紙を作ること自体が、心和む普遍性を持っているんではないでしょうか。
かみこやより
![三椏栽培](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/54623f70e09f6f7a978aea04d7c1bf1d1f67878e.26.2.9.2.jpeg)
四国カルストの風を受け、四万十川源流の水で暮らす。標高650Mの高台で99%緑に包まれた「かみこや」オーナーはオランダ人和紙作家で土佐の匠でもあるロギール・アウテンボーガルト。和紙の原料から育て、昔ながらの紙を漉き、作った和紙の優しさを製品にしています。
かみこやではロギールの手ほどきで紙漉き体験もできます。灯り・障子・襖に壁紙と和紙に囲まれた民宿のゲストルームは、1日1組~2組。暖かいおもてなしを心がけています。
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先日(4月4日)京都府立植物園で見た三椏です。
ミツマタの花は黄色と白のツートンカラーだったんですね♪
<本美濃紙>p52
最高の和紙として美濃の名を決定づけたのが、書院紙と呼ばれた障子紙の品質および江戸幕府の御用紙の指定だった。
薄く、均一、かつ強靭。障子を通過する光は技の冴えを際立たせる。
本美濃紙保存会会長を務める澤村正さんは話しはじめた。正倉院に残る現存最古の戸籍用紙(702年)から、少なく見積もっても1300年という歴史が導き出されること。平安時代には日本最大の産地になり、紙市場が開催されるようになった15世紀、書院紙(障子紙)で名声を獲得。その後も江戸幕府の御用紙に指定されるなど、美濃紙は常にトップの道を歩んできた。
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【和紙と暮らす(別冊太陽)】
![和紙](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6bc2e45e3b28d98a3faf7402ba235efbeba6396a.26.2.9.2.jpeg)
増田勝彦著、平凡社 、2004年刊
<「BOOK」データベースより>
データが見つからず。
<大使寸評>
昭和30年代までは、故郷のわが町でも楮の蒸し上げ作業を行っていて、幼い大使もかすかに覚えているのです。
それだけ和紙作りが身近にあったわけで、里山では楮、三椏の循環生産を行っていたんでしょうね。
和紙と森林の関わりが気になって、この本を借りたのです。
rakuten和紙と暮らす(別冊太陽)
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