図書館に予約していた『彼岸花が咲く島』という本を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。
この李琴峰という日本で生まれた台湾人作家の使う日本語が興味深いのです。
【彼岸花が咲く島】
李琴峰著、文藝春秋、2021年刊
<出版社>より
【第165回 芥川賞受賞作!】
記憶を失くした少女が流れ着いたのは、ノロが統治し、男女が違う言葉を学ぶ島だったーー。不思議な世界、読む愉楽に満ちた中編小説。
<読む前の大使寸評>
この李琴峰という日本で生まれた台湾人作家の使う日本語が興味深いのです。
<図書館予約:(6/19予約、副本?、予約0)>
rakuten彼岸花が咲く島 |
まず冒頭から語り口を、見てみましょう。
p2~7
砂浜に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われ大事に守られているようでもあった。
少女は真っ白なワンピースを身に纏い、長い黒髪が砂浜で扇状に広がっている。ワンピースも髪もずぶ濡れで黄色い砂がべったりと吸いつき、眩しい陽射しを照り返して輝き、ところどころ青緑の海藻が絡みついている。ワンピース以外に衣類はなく、持ち物も特にないようである。少女の白い裸足に、ワンピースの裾がめくれて露わになっている大腿に、折れそうなほど細かい首筋に、どこか寂しげな色を浮かべる顔に、あちこち傷跡がついている。鋭いもので切られたような傷口もあれば、鈍器で殴られたような暗い紫色の痣もある。
少女を包み込んでいるのは赤一面に咲き乱れる彼岸花である。砂浜を埋め尽くすほど花盛りの彼岸花は、蜘蛛の足のような毒々しく長い蕊(しべ)を伸ばし、北向きの強い潮風に吹かれながら揺れている。薄藍の空には雲がほとんどなく、太陽はちょうど中天に差し掛かる頃で、その下に際限なく広がる海水は浜辺から翡翠色、群青色、濃紺へとグラデーションしていく。白い波は彼岸花の群れに押し寄せては、岸を打つと音を立てて砕ける。この光景を見ると、少女は波で海岸に打ち上げられたのだということを誰も疑問に思わないはずである。
最初に少女の姿を目にしたのは、彼岸花を採りに砂浜にやってきたヨナだった。少女と同じくらいの年齢に見えるヨナは笠を被り、ギンガムチェックの着物を着ていて、日に焼けた小麦色の細い手足が筒状の袖から伸びている。脹脛に届くくらいの長い黒髪は一つに結い、歩くと軽やかに躍動する。ヨナは慣れた手つきで、満開を少し過ぎたくらいの彼岸花を丁寧に選別しては、はさみで緑の花径から切り取ると、左肩に背負っている麻袋に放り込んでいく。
鮮やかな彼岸花の群れに倒れている少女に気付いた瞬間、ヨナは驚きのあまり麻袋を落とし、反射的にはさみを持ち直して身構えた。この砂浜には自分以外に誰もいないはずだ。しかし少女に目を凝らすとヨナはまた動揺し、ゆっくりとはさみを下ろした。少女の可憐な見た目に息が詰まりそうになったというのもあるが、彼女の身に纏っている白装束に気を取られたからである。
(中略)
少女に見惚れたヨナは何かを考える前にほぼ衝動的に自分の顔を近付け、少女と唇を重ねた。目を閉じると世界の全てが遠退き、波の音だけが遠くで木霊する。冷たく柔らかい唇からは、海水の塩っぽい味がした。
唇を離すと、少女は悪夢にうなされるように瞼をきつく閉じ、両手で拳を握りながら、意味を成さない低い唸り声を発した。ややあって、ゆっくり瞼を開けると眩しそうに右手を目の前にかざし、影を作った。ヨナの存在に気付いたのはそれからだった。
「ノロ?」とヨナは訊いた。
もがきながら少女は身体を起こしてヨナを見つめ、何度か瞬きをした。そして、
「ノロ?」と訊き返した。
「ノロの服着てるアー!」ヨナはやや興奮気味に言った。「リー、ニライカナイより来(らい)したに非ずマー?」
「ここ、どこ?」昏睡していたとき顔に表れていた寂しげな表情が色褪せ、代わりに少女の顔に浮かんだのは純然たる恐怖だった。「なんでわたしはここにいるの?」
「ここは〈島〉ヤー!」とヨナは答えた。
「シマ?」少女は怯える目でヨナを見た。「なんのシマ?」
「〈島〉は〈島〉ベー」
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