図書館に予約していた『イラク水滸伝』という本を、待つこと8ヶ月半ほどでゲットしたのです。
著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。
「
探検本あれこれ」という括りを設けているんですが、高野秀行さんの作品を5作ほど取り上げていて・・・個人的には探検家トップの地位を築いておるわけです♪
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【イラク水滸伝】
高野秀行著、文藝春秋、2023年刊
<「BOOK」データベース>より
アフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!
<読む前の大使寸評>
この民族誌的記録は“現代最後のカオス”ってか・・・ワクワクするでぇ♪
<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>
rakutenイラク水滸伝 |
イラクのマーシュアラブ刺繍布
「第7章 謎のマーシュアラブ布を追え」で謎の刺繍布を見てみましょう。
p376~379
<3 謎の刺繍布の作り手と会う>
ホドルの街中にあるセルマさん宅に到着したのは正午近かった。街中にもかかわらず、周囲には生ゴミが投げ捨てられたドブとも水たまりともつかない「湿地帯」が広がっており、すさまじい悪臭がする。チバーイシュ町の今日の最高気温は41度と予測されていたが、ここはもっと高いだろう。悪臭と猛暑で耐えがたい。
夫は姿を現さず、黒いアバーヤをまとったセルマさんが直接迎えてくれた。ついにアザールの謎が明かされるのかと私はさっきとは別種の興奮にとらえられた。
居間兼客間には彼女の作った布が置いてあった。観光のお土産として買う分には可愛らしくてよいのだろうが、どうにも粗い作りで、コレクションの対象になるような作品ではない。私はひそかに、現在でもアザールの技術が連綿と伝えられていることを期待していたのだが、あっさり打ち砕かれた。しかし嘆く暇はない。ジャーシム宋江が倒れる前に訊くことを訊かねば。
早速インタビューを始めた。セルマさんは本名セルマ・エドベ・ダメジェ・ターイー。1959年ホドル生まれ、良心ともターイーという氏族である。彼女は布作りのグループを束ね、ワークショップを主宰するだけのことはあり、判断が早く、頭のよさそうな人だった。
布作りを始めたのは11歳のとき。つまり1970年頃で、習ったのは近所の人だった。母は作り方を知らず、セルマさんが上手になると逆に教えてあげた。習い始めた理由は「お金になるから」。当時、住んでいた地区には250人ぐらい女性がいたが、そのうちアザールを作れるのは5、6人だけだった。しかも彼女たちは「プロ」だったようだ。ただ、職人というより「内職」という感じではないかと思う。
なんと、今から50年前の時点で、新婦もしくは新郎の母親がアザールを作るという習慣はとっくに失われていたことになる。彼女の母親までは知っていたそうだから、女性の誰もがアザールを作る習慣が残っていたのはせいぜい1950年代くらいかもしれない。
セルマさんは18歳で結婚したが、そのとき自分で新婚用のアザールを作った。
氏族は関係なく、ホドルではみんな同じスタイルのアザールを作っていた。
布地と染料は市場で買い、羊毛はベドウィン(遊牧民)から買っていた。自分で糸を紡いで染めていた。作るのは一人。というのは、刺繍のリングは大きくて同時に二人で仕事はできないし、アイデアもちがうから。
セルマさんに刺繍のやり方をほんのちょっと実演してもらった。
やり方は基本的に日本や世界の他の国で行われている刺繍と同じだ。まず、刺繍したい箇所に丸い「刺繍枠」をはめて、布をピンと伸ばす。日本ではこの輪は大きくても直系30センチ程度のようだが、セルマさんが使っていたのは直径60~70センチもある自転車の車輪フレーム。
(中略)
刺繍枠が巨大であることを除けば、特に変わった作り方ではないようだ。セルマさんは体を揺らしながらスピーディーに同じ作業をくり返す。思ったより早く刺繍が布の上に展開していく。刺繍の密度は低く、図案も単純なものが多いので、これなら一枚の布を仕上げるのにさほど時間はかからないだろう。
アザール作りの概要はだいたいわかった。次は「本物のアザール」、つまり伝統的な用途で作られたアザールについて訊きたい。と思ったら、また障害が現れた。
イラク名物、不滅のホスピタリティ。インタビューは突然中断され、なんと昼食になってしまった。もちろん鯉の円盤焼きだ。1秒でも時間が惜しいこのときに。「イラク食、怖い!」という気持ちが久々に甦った。だがジャーシム宋江はセルマさんの手前、辛そうな顔を一切せず、楽しそうに食事をする。ほんとうにこの人はすごい。尊敬する。
ようやく食維持を終えてから、私の布を見せた。セルマさんは思わず息を飲んで、一言「カディーム(古い)・・・」。続いて「ヘロー(素晴らしい)」。
質の高さに驚きを隠せないようだ。
いつ頃のものかと訊くと「わからないけど、70年から90年前のものじゃないかな」。作られた場所は「ホドルかもしれないが、よくわからない。」。
やはり、そんなに古いのか。できれば、この布の製作者を探し出したいと思っていたが、ほぼ不可能だろう。
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『イラク水滸伝』6:マーシュアラブ刺繍布
『イラク水滸伝』5:イラン国境の水滸伝(続き)
『イラク水滸伝』4:イラン国境の水滸伝
『イラク水滸伝』3:続き(その2)
『イラク水滸伝』2:続き(その1)
『イラク水滸伝』1:はじめに