被爆したアオギリの木です。
平和記念公園に移植されたとか・・・
そのアオギリの歌が小学生によって作詞作曲されました。
詳しくは、
12月20日の日記を見てくださいね。
ローマ法王平和アピール塔
1983(昭和58)年2月25日
ローマ法王平和アピール碑建設委員会
アピールの一部です
「戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。
過去をふり返ることは、
将来に対する責任を担うことです。
ヒロシマを考えることは
核戦争を拒否することです。
ヒロシマを考えることは、
平和に対しての責任をとることです。」
と全世界にむけて「平和アピール」を行ないました。
20歳で被爆した、
沼田鈴子さんの証言を聞いた。
被爆した時、崩れた建物に足を押しつぶされ、
のこぎりで無麻酔で切断されたそう・・・
結婚式3日前に被爆したが、
実は婚約者は既に戦死していたそう・・・
壮絶な体験と平和への切望を説かれたそうです。
ミンミは上の写真の
沼田鈴子さんの本「平和の芽」を借りてきて
読んでから聞きました。
やはり聞いてからのほうが分かりやすかったそうです。
詳しくは12月6日の日記を読んでくださいね。
小5から高1までの子ども達が真剣に聞いています。
左端が高1のミンミです。
被爆した腕時計・・・
広島の街の模型を見る子ども達
原爆が落とされる前の広島。
原爆が落とされた後・・・
原爆ドームのレプリカを下から覗いた写真
結婚も被爆者ということで、
相手の両親に反対され、相手の方は自殺・・・
という話も聞いたけど、沼田さんではなかったかな?
うろ覚えで済みません・・・
どなたの話にしても、被爆者は
後遺症などだけでなく、
差別にも苦しんでいたらしい。
結婚や就職も差別されたらしいから、
被爆者であることを秘密にする人も多かったみたい。
二重の苦しみですよね・・・