ミンミが入間市の広島こども派遣団に行ってきました。
原爆の勉強をしてきたのですが、その時の写真です。
詳しいことは
12月27日の日記を見てくださいね。
「占領軍(せんりょうぐん)と
プレスコード」
敗戦で日本は約6年8か月間、
連合国軍に占領(せんりょう)され、
広島は英連邦軍(えいれんぽうぐん)の
管轄下(かんかつか)におかれました。
占領政策(せんりょうせいさく)のなかで、
とくに1945年(昭和20年)9月実施(じっし)の
プレスコード(報道遵則(ほうどうじゅんそく))は、
出版・報道への検閲(けんえつ)を強め
原爆報道(げんばくほうどう)については
とくにきびしい規制を加えました。
長い間、原爆被害(げんばくひがい)の全容や
原爆(げんばく)の意味が
全国に広まらなかったのは
プレスコードも一因でした。
また、プレスコードは原爆(げんばく)を
描(えが)いた小説の削除(さくじょ)、
原爆(げんばく)の画集の発売禁止に適用され、
心理的な圧力が大きかったといえます。
占領期(せんりょうき)が終わると、
原爆関係(げんばくかんけい)の記事や
出版物は急に増えました。」
原爆ドームのレプリカ(原寸大?)
原爆死没者慰霊碑の石室前面には、
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。
原爆で皮膚がたれさがり、亡霊のように彷徨う母子の像・・・
でも実際には、服も熱線で焼け落ち、
裸同然になってるはずだそうです。
下の絵のように・・・
ミンミが広島から買ってきてくれた図録の絵です。
図録の第1章「きのこ雲の下で」の中から
私が印象的な一枚だけ紹介します。
「衣服は引き裂け、皮膚はたれ下がる」
「土手の上を、ユーレイのように髪はばさばさ、
衣服は引き裂け、皮膚はたれ下がり、
今の世の人とは思えぬ姿で、
負傷者の群れが声も立てず
黙々と郊外へ逃げて行く。」
吉村吉助さんの絵と文です。
(被爆当時の年齢18才
絵を描いたときの年齢75才)
広島の街と原爆の模型を見ている子ども達。
赤い玉が原爆です。
被爆した三輪車
平和記念資料館「放射能の種類と性質」
この説明を見て、放射能は全ての物質を通すと
ミンミが作文に書いていたので、
鉛は放射能を通さないのでは?と
ついミンミに言ってしまいました。
調べたら
広島というサイトに
「放射線の透過について
「アルミニウムなどの薄い金属板はベータ線を通さないが、
ガンマ線・X線・中性子線は通す。」
「鉛や鉄などの厚い金属板は
ガンマ線・X線を通さないが、中性子線は通す。」
ということを言いたいわけだが、
厚いアルミニウムや薄い鉄だと
どうなのかという疑問を残す記述だった。」
と書いてありましたが、本当に同感です。
でも、つい細かいところに引っかかって、
話を中座させてしまうのは私の悪い癖です・・・
ミンミの話の腰を折ってしまった・・・
結局、「コンクリートも薄い金属も通すから、
建物の中に居た人達も助からなかった」と
いうようなことを書いたらしい。
原爆ドームと原爆死没者慰霊碑