南相馬市・郡山市・三春町を回ってみて~経緯と所感~
※2019/11/21に、「所感」以下の文章を追加。 2019年4月21~24日に、3泊4日で、数年ぶりに連泊で旅行をしました。物見遊山ではありません。フクイチ事故による影響を、現地で見たいという思いから考えたものでした。 この記事は、旅行実施までの経緯と、現地を見た所感等をまとめたものです。(過去記事/南相馬市)市議ご夫妻の案内で南相馬市を回りました。その1南相馬市を回りました・その2~同慶寺と交流センター~その3~パークゴルフ・セデッテかしま・絆診療所~その4~風力発電所・球場~その5~高の倉ダム~その6~モール・公園墓地~その7~東ヶ丘公園~その8~相馬野馬追祭場~その9~夜の森公園~その10~道の駅・原子力規制事務所~その11~原町シーサイドパーク~その12~市役所・市民文化会館~その13~古墳公園・ヨークベニマル~(過去記事/郡山市・三春町)人見さん・武藤さんの案内で郡山市・三春町を回りました・その1郡山市・三春町を回りました・その2~三春滝桜~その3その4その5その6その7その8その9その103泊4日の旅行・2市1町を回るまでの経緯1.どういう理由で構想したのか「現地を実際に見てみたい」という思いが強くなったのは、幾つかの理由が重なっています。順不同で書きます。 一つは、かながわ訴訟・東京訴訟・さいたま訴訟等、被害者・避難者が提訴した集団訴訟を通じて、当事者の意見陳述やお話を直に聞き、現地を見る必要性を感じていたこと。 二つは、環境省の「東日本大震災の被災地における放射性物質関連の環境モニタリング調査:公共用水域」の調査結果を元に土壌中のセシウム濃度・平均値のまとめを作っている内に、「自分で地表面を計測してみたい」という思いが強くなったこと。 三つは、2018年の秋に、被害者の声を丹念に取材している吉田千亜さんから取材を受けた事で、それまでの吉田さんの積み重ねに刺激を受けたこと。 四つは、故・猪狩忠昭さんのご遺族とお会いする必要性を感じていたこと。 大きくは、これらが理由になります。2.「案内役」を依頼 昨年の11月頃には実行前提で検討を始めたところ、一番困ったのが、「どこをどう見れば良いのか」でした。 2017年5月末にいわき市に行った時には、「アクアマリン福島」と「三崎公園」という目的があり、日帰りで1人で回りましたが、3.11の影響を受けた所を回るのは、1人では無理です。時間と交通費を遣う以上、最大限の効果を上げる必要が有ります。(リンク/過去記事)いわき市のごく一部を見ての感想 色々と考えた結果、現地を知り尽くしている人に案内をお願いすることにしました。 幸いなことに、私が参加していた金曜行動「希望のエリア」には、南相馬市の市議会議員に当選した栗村文夫さんも時折、来ておられました。そこで、2018年12月に、希望のエリアが終了する直前に参加なさった栗村議員に打診したところ、承諾して下さいました。 もう1人の心当たりが、郡山市在住のフリーライター、人見やよいさんでした。 私が人見さんと連絡を取り合うようになったのは、2018年8月末の、ALPS処理水に関する公聴会が切っ掛けです。 公聴会の予定が公表された後、私は、フクイチの水の現状と問題点に関して、多くのブログ記事をアップしていきました。それらが人見さんの目に止まったようで、FBを通じて連絡を取り合うようになりました。当初は顔も合わせず、ネット上でのやり取りだけで、その後も実際にお会いしたのは1度だけでしたが、人見さんは、リアルタイム線量計の撤去反対運動や脱原発運動でずっと活躍しておられました。 そこで、人見やよいさんにも「現地での案内」をお願いしたところ、快諾して下さいました。 南相馬市内を回れることが確実になったので、かながわ訴訟の原告団長である村田弘さんにも、「ご自宅を見る許可」をお願いし、ご了承頂きました。3.いわき行きを分離・先行させる 次の検討項目が実施時期でした。 冬の寒さに震えながら回るのもきついですし、荷物が多くなります。又、雨の中で回るのも不便・不自由でしょうから、「春の終わり頃で、梅雨にかからない時期」とし、「3月下旬から、遅くてもGW前後」に行くことにしていました。 時期については栗村さんや人見さんに事前にお伝えしており、具体的な行程を作ろうとしたところ、難しいことが分かりました。 元々、「南相馬・郡山・いわき」と、まとめて行くつもりでしたが、福島県は東西交通が便利とは言い難く、南相馬ー郡山、或いは郡山ーいわきの移動には、相当の時間がかかるのです。 仕事の関係で取得できる休日には限界が有りますし、それぞれの目的地で十分に時間を確保しなければなりません。「移動して旅情を楽しむ」のが目的でもありません。 行程を考えている内に、「福島原発過労死訴訟」の第一回口頭弁論が3月25日に開催されることが伝えられました。 この傍聴は絶対に外せません。そこで、いわき行きを分離して先行させることにしました。 3月にいわき市に行った際に、故・猪狩忠昭さんのご遺族とお話ししただけでなく、湯本駅周辺を回ったのはそういう訳です。その結果、書いたのが以下の記事です。(リンク)湯本駅周辺の観光と、計測した線量の値 (リンク)いわき市の石炭・化石館「ほるる」を見学4.人見さんの手配~三春町も加わる~ いわき行きを先行させたので、以後は、南相馬・郡山を回る前提で日程を検討しました。 休日が取得可能な時期を踏まえて、「GW前の4月下旬」又は「GW明け」に絞り、栗村さんに連絡を取ったところ「出来れば4月下旬で」との回答を貰いました。 その時点で、「福島原発さいたま訴訟」の口頭弁論の日程も分かっていたので、4月24日のお昼頃に大宮に着く日程で組み立てたところ、ピタリとはまりました。 4月21・22日が南相馬、23日と24日(午前)が郡山となり、栗村さん・人見さんにも打診し、4月上旬に概ねの日程を決められました。 ここで良い意味でのサプライズがありました。人見さんが、武藤類子さんに連絡を取って下さり、武藤さんが三春町を案内して下さることになったのです。 結果、三春町も回ることになりました。 人見さんは院内集会に参加の為、24日には東京に行くことになっていたので、郡山市内の公園を回るのは、私1人で対応することにし、その予定は24日午前に回しました。5.全ての関係者に感謝 案内して下さる方への連絡・相談や、日程の調整等、実現までのプロセスは複雑でしたが、結果的に、天候にも恵まれ、全てがドンピシャで嵌ったような良い結果になりました。 今まで、なかなかお話しできなかった方と直接お話しして、当事者しか知らない話を多く伺うことが出来ました。線量を計り、風景・距離感・自然の美しさ等を体感できました。「うつくしま福島」と呼ばれる理由も分かりました。得られたこと・考えた事は多くあります。 3・4月と、浜通り・中通りを回るに当たっては、親切にして下さったホテルの従業員の皆様、常磐線の車掌さんを初め、多くの方にお世話になりました。有難うございました。私1人では何もできなかったでしょう。 その中でも、自宅敷地への立ち入りを許可して下さった「かながわ訴訟」原告団長の村田弘さん、足掛け2日間つきっきりで案内して下さった南相馬市の栗村文夫市議会議員ご夫妻(個人情報の関係で配偶者さんの名前は控えます)、院内集会用の資料作りがあるにも関わらず対応して下さったフリーライターの人見やよいさん、面識が無いにも関わらず案内して下さった武藤類子さん、不幸がご縁で知り合ったにも関わらず親切にして下さった故・猪狩忠昭さんのご遺族の皆様に、特に感謝いたします。 改めて、お世話になった方の写真を掲載します。↓ 右が栗村文夫・南相馬市議会議員↓ 左が人見やよいさん、右が武藤類子さん↓ 故・猪狩忠昭さんの遺影と配偶者Aさん 以上が、旅行実現までの経緯とお礼です。所感 続いて、所感です。 感想・考えた事・得られたと思える事を、大きな項目毎にまとめました。●距離感・風景・地形などを実感 これまでは、話を聞いたり読んだりしても、全て文字の上でのことで、間接的なものでした。それが、限定的とは言え、リアルに感じられるようになりました。写真で建物を見ても、周囲の風景や距離感は分かりません。 都会では望めない広い戸建て・広い庭・畑を持っていた人達が、突然、避難や転居を強いられ、面積も間取りも選べない住まいに移らざるを得なくなって、趣味や生業も取り上げられたとしたら、どうでしょう。集合住宅や仮設住宅へ入居すれば、生活音も含めて騒音も気になるでしょうし、隣近所の人間関係も含めて、あらゆる意味で居住環境が激変するのです。 その「激変」の中身が、ある程度、リアルに掴めるようになりました。●車社会と実感 現地での移動は全て車でした。市街地では自転車すら殆ど見かけませんでした。 この点も、避難した方達にとっては、居住環境の変化でしょう。行きたい所に車を運転して気軽に出かけていたのが、都会だと鉄道での移動を強いられます。 首都圏の鉄道網は世界一だと言いますが、慣れていなければ、ただ分かり難いだけでしょう。網の目のような複雑さで複数路線が互いに乗り入れ、ターミナル駅の構造はまるでラビリンス(迷宮)です。 常磐線や東北本線は、駅の構造も含めて、相対的にシンプルでした。 移動の環境が全く異なっており、この違いも、避難した方達にとってストレスの要因の一つでしょう。 又、国・自治体の総力を挙げて帰還政策を進めても、実際に帰還する方は高齢者が多いとのこと。失礼ながら、70代・80代になれば、自力での車の運転は困難になり、日常の買い物や通院も難しくなるでしょう。帰還政策で一時的に人口が戻っても、結局は若い家族のいる地域や、病院・介護施設を利用し易い地域に移らざるを得なくなり、浜通り、特に相双地区は衰退していくのではないかと思いました。●夜間の国道の怖さ 夜間の国道を走ったのは1回だけでしたが、自車と対向車線の車のヘッドライトの灯りだけで、信号の無い道を飛ばすのは、自分でも意外なほど「怖い」と感じました。 相馬市のお店で夕食を摂った後、栗村ご夫妻にホテルへ送って頂き、私は後部座席に座っていたのですが、昼間に走った時とは勝手が違っていました。 路面と標識だけがヘッドライトに照らされて浮かび上がり、周囲の光景は闇に溶け込んで殆ど見えません。信号も滅多にありませんから、速度も変わりません。 これだけでも心細くなり、更に「単独走行で事故に遭ったら」と不安になりました。ホテルまでの短時間の移動ですらこのような不安に駆られるのですから、福島県と首都圏を夜間に往復していた方達の緊張感と疲労は相当に大きかったでしょう。 福島県に残ったお父さんが、家族に会う為に1ヶ月の間に何度も車で往復することを何年も続けるのは、心理的・肉体的にきついであろうことは、何となく実感できました。 集団訴訟の意見陳述では、この移動が耐え難い負担になっていたという内容もありました。夜間の国道を体験してみて、ある程度、リアルに掴めたと思います。●線量を計ってみて 今回の旅行の目的の一つが、地表面の線量を計る事でした。計った結果は、過去記事の写真と記事の通りです。線量の高さと濃淡の差の大きさには、改めて驚かされました。追加の年間被曝線量1ミリシーベルトを超える場所で子ども達が普通に遊んでいるのも、信じられませんでした。線量を計らなければ、普通の光景です。 将来、何らかの病変が発生するかも知れないのに、その子ども達を避難させることも出来ず、その場を立ち去っていく自分が罪深い存在に思えました。 書類で線量の数字だけを見るのと、そこで暮らしている人達・遊んでいる子ども達を見ながら線量を確認するのは、明らかに違います。「自分は、この場から離脱できる」という安堵感を覚えつつ、その安堵感に罪悪感を抱きました。この「安堵感と罪悪感のセット」に、申し訳なさと、避難の権利が認められない悔しさと、逃がそうとしない為政者への憤りが加わり、フクイチの電気の消費者であったという責任の重さが混然一体となって頭の中を掛け巡りました。 こんな「気が狂うような感覚」は、いつも、頭の何処かに張り付いているようで、心理的に居心地が悪かったです。数字だけではなく、「人を見る」「生活を見る」事の重さを思い知りました。●「郷土史」の断絶 今回の旅行で、特定の施設で特に印象に残ったのが、三春ダムの資料館でした。 水没する前の集落や施設の風景、学校行事や四季折々の祭事の様子も写真と文で説明されており、濃縮された郷土史を見るようでした。 三春ダムの建設そのものも難事業だったとのこと。 若し、3.11で4号機の使用済み燃料プールが炎上していたら、三春ダムも、三春ダムが水を供給している郡山市等も放棄せざるを得なくなっていたと思われます。そうなっていたら、立ち退いた方々の思いや、ダムを建設した時の苦労はどうなるでしょうか? 三春ダムの資料館に残された写真等も見る人がいなくなるでしょう。 三春ダムの資料館を見てつくづく感じたのは、「郷土史」の重さでした。今まで、自分には無かった視点です。 仮に大規模な核災害が起きて、地域の全住民が避難できたとしても、放射性物質が大量に降下すれば、その地域には近寄れなくなるでしょうし、よしんば立ち入れたとしても、事故前と同様に居住することは不可能でしょう。「核災害は郷土史を断絶させる・又は変容させる」のです。 核発電は、郷土史が断絶・変容するリスクを冒してでも推進するものでしょうか? 避難計画の策定云々を理由に核発電に反対する意見も有りますが、仮に避難できたとしても、郷土史は断絶・変容のリスクに晒されます。「郷土・郷土史」という視点も、今回の旅行で得たものでした。●「コミュニタン福島」の異様さ「異様」或いは「グロテスク」に思えたのが、「コミュタン福島」でした。 美しい山林の風景の中に最先端の建築物が鎮座し、原発事故の原因・東電の責任・日本の核利用の歴史等を語らないまま、「放射線は心配ない論」を語り、フクイチ事故の現場すら等閑視するような展示内容でした。更に、西田敏行の語りで「福島」を繰り返す立体映像を流し、「復興」と「福島の美しさ」を強調していました。 所謂「原子力ムラ」の価値観・考え方が凝縮されたような展示で、責任・歴史を無視して、福島という大地や歴史に「核技術・核利用」を接ぎ木しようとしているような印象を持ちました。この「接ぎ木」は無理があるし、成功しないでしょう。 そういう面で、「異様」或いは「グロテスク」に思えました。 現地の方や、避難した方達から見れば、的外れや認識不足もあるかも知れませんが、以上が、所感です。 拙ブログの意見や感想に関わる部分は全て私個人のものであり、他の如何なる組織・個人とも関係は有りません。 又「自分の身体に関することを、外部からの強制やインセンティブ(誘因)に影響されずに決定するのは、個人の尊厳の基本である」というのは、私のものの考え方の大前提です。 先回りして書いておきますが、「福島は危険」とか「福島を応援する」といった結論ありきで行ったのではないので、そのような議論がコメント欄に書かれた場合には、即時、削除いたします。 旅行記の連載記事を含め、拙ブログの写真・グラフ・ポンチ絵の無断転載・引用はご遠慮下さい。春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)