カテゴリ:その他、世間話
わ・リーグ第4戦が戦われていた頃、私は職場で同僚と世間話をしていました。
A「私、11、12と有給もらって田舎帰ることにした」 B「あんたとこ、どこね」 A「山口県。兄弟は5人おるんやけど田舎には残ってないの」 B「両親は健在なん」 A「両方とも90で元気なんよ」 B「すごいねぇ・・私とこは母が85で行きとるけど父親は70で死んだわ みんみんさんはどこね」 み「私は母と枚方に住んでます。田舎はありません。父は亡くなりました」 B「お母さんはいくつ」 み「まだ67です。元気ですよ。ただ母の兄や姉が80台の方がたくさん 残ってまして、・・・がいつあるか分からない」 B「あ、そう。うちも特養に入れるか、どうか兄弟で相談中なんよ」 み「長生きは結構なんですが・・ボケてきますと、ツライですねぇ。 祖母は91まで生きてましたが、見舞いに行くと・・弟と間違われ ました」 母方の祖母は明治34年生まれ。昭和天皇と同年だった。平成4年になくなった。 子供の頃、おばぁちゃんを訪ねると、ご飯を作ってくれて 「もっと食べなさい」が口癖だった。弟も私もあまり祖母のご飯 を美味しいとは思わなかった。寡黙な人で耳が遠かったから、あまり 話をした記憶がない。ただ今思うに戦中と終戦直後、子供に充分食べさせて あげる事ができなかったから、孫の私たちに「もっと、食べなさい」 と言っていたのかなぁ、とふと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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