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カテゴリ:写真
ミドル120Aのレンズが余りにも曇っているので、掃除をする気になりさばきました。三枚玉は元に戻しよいのでやる気になってさばきましたが、作りが丁寧で驚きました。蟹目と呼ばれる特殊な物を使わず、更に中玉、後玉を枠にはめてあり組み立てミスなど内容にしてあります。これなら町工場でおばさんに組み立てさせても大丈夫でしょうね。金具に少しお金が掛かるけど・・・
アルコール水で洗ってきれいにしましたが、取れない汚れもありました。元のとおりに組んだので多分大丈夫だと思います。 レンズがきれいに透き通ると試写してみたくなりますね。しかし、いくらなんでも今日のように雪がちらつくと出る気になりません。少し暖かい日にやってみます。 セミ判のカメラはこれで4台目です。古くはイギリスのエンサイン、ドイツのウエルタペルレ、新しいものでフジ645です。それぞれ良いレンズが付いているので比べるのはかわいそうかもしれません。戦後の混乱期・復興期の普及機をを代表するようなものですが、何とかまともに写って欲しいものです。 三枚玉で十分な移りをするものが結構多いですからね。私の目ではツァイスの4枚玉の名玉テッサーと3枚玉普及用のノバーの区別があまり分からないくらいですから・・・ 古道の方に使ったプリモフレックスのトーコーも三枚玉のはずです。東 京光学と無名のメーカを比べるのはかわいそうですがね。 こうした無名のカメラメーカーが東京の下町を中心にたくさんあったのです。もちろん大阪にもありました。豊橋にはうんと後までがんばったメーカーもありました。 進駐軍さんの土産用から始まったカメラ作りが戦後の日本の復興に大きく役立ったのです。 日本人の器用さと改良熱心がほんの15年で焼け跡もバラックで作られた安カメラから世界一のカメラに育て上げたのです。 その日本の技術力が急速に落ちてきています。いつまで王様顔をしていられるでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/12/22 11:06:51 PM
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