全て
| 混在
| ホームページ
| 写真
| ニュース
| 食品
| 雑感
| クラシックカメラ
| 環境問題
| 熊野について
| スポーツ
| 作物
| NET・パソコン
| 思い出
| 世の中
| アマチュア無線
| 熊野市議会
| ベトナム
| フォルクスワーゲン UP!
カテゴリ:熊野について
100年前…まだ世は明治です。
戸。言っても「、もう明治43年、終わりの頃です。 1910年にこの木本にも「電話」が入ってきたようです。 2月21日に「木本郵便局電話通話事務開始」となっています。 電話交換業務が始まったのは翌年の1911年3月1日だそうです。 この頃の電話などと言うものは、役場、郵便局、警察などと言うところと、民間なら金持ちの新物食いのところしか引かなかったと思います。 私の実家の電話番号は、「木本・59番」でした。古いほうでしょうね。 大体、町で数本だとか数十本などと言う電話では市内で「電話が便利」なんて無かったでしょうね。 掛ける相手も、掛かってくる相手もいないですからね。 用もないのに見せびらかして掛けてみせる…なんてのもあったのでしょうね。 子供の頃には、壁に掛かった木製の電話機がありました。 映画に出てくる、受話器を耳に当てて機械から出ている送話口に向かってしゃべるやつです。 機会には目玉のように見えるベルが二個付いていましたから、送話口を入れると顔に見えたものです。 もちろん、ダイアルではなく横に付いたレバーをぐるぐる回して交換手を呼び出すやつです。 この電話番号も、4桁になり、局番が付いて5桁になり、局番が増えて6桁になってきました。 でも、光は局舎までの幹線の工事は終わっていますが、局舎から外へ出ようとしません。 4月22日には「ホーキ星現れる」なんてのもあります。調べれば何彗星か分かるでしょうね。 何よりもこの年には「大逆事件・幸徳秋水事件」がおきています。 この大きな事件にはこんな田舎が絡んでいるようです。 新宮の大石誠之助と言う人や下市木の崎久保誓一さんという人が検挙されています。 よく分からない事件ですし、よくは知りませんが、文化人がいたってことでしょうね。 それと、時々書いています「木本小学校」の旧校舎・木造校舎もこの年に建設されたのだそうです。 建坪609坪、校舎3棟、講堂・付属建物3棟だそうです。 この時代の学校には「小使いさん」が居たはずですね。湯沸し室があってお昼のお茶を沸かしていて・・・ 私が学校に入った頃の田舎の小学校には居ませんでしたけどね。 映画には学生服みたいなのを着た「小使いさん」がつき物でしたね。 と言うのが、100年前のこの地方の出来事のようです。 戦死した親父が生きていたら98歳ってことらしいです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください 熊野市周辺地図です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010/01/26 01:29:25 PM
コメント(0) | コメントを書く
[熊野について] カテゴリの最新記事
|