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JE2LUZ・熊野

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2013/12/15
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カテゴリ:熊野について


 紀州鉱山の負の遺産としては昨日の鉱害の他に人的なものもあります。
 江戸時代とかの入れ墨者などは別にして、戦前にはまだ無宿者的な坑夫も居たようです。
 それも別として、二つの問題がありました。

 一つは何だか途中から美談になっちゃったかのような「英国軍捕虜」の強制労働があります。
 ジュネーブ条約ですか?
 捕虜は強制労働とかさせてはいけないのですが、入鹿の鉱山では英国兵に労働を強いていました。
 日本人も一部の階級を除いてお腹を空かせている時代ですから、捕虜にたらふく食べさせる余裕も無かったのも事実でしょう。
 その労働によって英国兵に死者が出ております。
 労働・食料条件でとかを抜きにしても死者の出るような状況であったことは間違いありません。
 その英国兵の魂を地元では慰霊碑を作って供養はしてきていたようです。
 戦後開放されて英国に帰った兵隊さんは日本を当然のように恨んでいたようです。
 しかし、月日は流れ、老齢期に達した帰還兵の方が入鹿を訪れ、戦友の墓に参るようになった頃には「イルカ・ボーイズ」等という名前で地元とも交流が持たれるようになりました。
 その交流も年月が経って生き残っている人も高齢化して日本まで来られなくなってしまいました。
 いまでも、慰霊に訪れてバグパイプの演奏などしていますが、在日の英国人とかになっているようです。
 木本の町中をパレードしたり・・・
 少し変質したようです。

 入鹿にはこの英国兵の慰霊碑がありいつもきれいに管理されています。
 石原産業の社有地の金網のすぐそばで鉱山の不気味さを感じられるような場所でもあります。

 この英国兵の場合「英国」というイメージでとらえられるからか、マスコミなどの扱いも丁寧です。
 まさに国・国籍による区別がなされているようです。

   
        
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最終更新日  2013/12/15 08:27:06 AM
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