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カテゴリ:熊野について
キオスクが無くなり、うどん屋も無くなって何も無いがらんどうの駅と化していた「熊野市駅」ですが、自販機が置かれました。
飲み物とほんの少しの食い物は構内で確保出来るようになりました。 何しろ、駅前にあったコンビニも土産物屋も写真屋も廃業するくらい寂れた駅前です。 駅前大改装で噴水作ったり、電線地中化工事をやったり・・・ 5年ほどほっくり返していますが、その間に変化したのは、店舗の廃業だけです。 敢行客誘致というのに、駅の待合室ががらんどうだったのです。 まあ、現状の観光客の動向では駅構内でうどん屋をやる人も居ないし、売店をやる人も無いでしょう。 それに、「西日本旅客鉄道」などと言う会社は国鉄時代から何かと厄介なところですから、素人が参入出来ないでしょう。 この自販機・・・どこが設置したのかステッカーを見て来ませんでした。 値段もみませんでしたが、昔のように「汽車の中は何でも高い・・・」と言う時代じゃ無いですから普通でしょうね。 このコーナーにあったキオスクも一時期は変な人気があったのです。 キオスクは鉄道共済会なんてようなところがやって居ましたから、週刊誌の仕入れが早かったのです。 「少年ジャンプ」「少年マガジン」などが全盛だった頃・・・ 町の本屋さんより一日早くは行ってくると言うので、子供が買いに走った時期もあります。 左の壁を挟んだ位置の「うどん屋」は新宮の駅弁屋さんの支店だったと思います。 言うなれば国鉄一家のような店ですね。 この駅弁屋「丸新」は映画になったことあります。 新東宝? 「駅前シリーズ」で、森繁、三木のり平、加藤大介に駅弁屋のお嬢さんが新玉三千代さんだったかな? 紀勢西線が上機器何社の時代なので、湯川の手前の「夏山・なあさトンネル」が難所で、機関手が気絶するなんて設定を覚えています。 でも、新宮の駅前なのに「丸新」さんの娘さんが別嬪さんだったかどうかは確かめに行っていません。 東京時代の映画だし、あまり家に帰ってきませんでしたからね。 その頃は彼女も居たし・・・ 今の人のように浮気者じゃ無いし・・・ 1960年 紀勢西線 湯川駅 この様に蒸気機関車だったのです。 紀勢西線は最初、軽便鉄道で作られたのだと思います。 そんな痕跡も宇久井ー佐野辺りにあったように思いますが・・・ 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016/02/12 08:38:20 AM
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