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カテゴリ:熊野について
以前から時々触れていたのですが、七里御浜北の外れ、脇の浜には昔から船着き場がありました。
木本はこの「脇の浜」とそこに流れ込む「西郷川」が基盤となる「親地町・親井戸」から始まったようです。 伝説の海賊「多賀丸」もここを拠点としていたのでしょう。 「木本」は「鬼の元浦」と言われたこともあるようです。 木本神社はこの呼び方を使うこともあります。 私が子供の頃の脇の浜は鬼ヶ城の磯と、そのそばの小さな砂利浜の入り江でした。 親地町は漁師町で多くの漁船もあったのですが、波止場はなく、船は普段海に浮かんでおり、荒れそうなときには浜に揚げました。 七里御浜沿いに点在した、半農半漁の漁師に船などは漁の時以外はろくろを使って浜に揚げていました。 昔の九十九里浜では「おっぺし」と呼ばれる女の人達が上半身裸で船を降ろしたり揚げたりしていました。 写真部の一年後輩の子と撮影に行ったので、探せば何処かにネガがあると思うのですが… そんな脇の浜の港ですが、近代的な漁港にするため、鬼ヶ城の磯から突堤を突き出し、内側に船着き場・荷上場を作ったのです。 更に製氷機や荷捌き所、衛生管理型さかな市場?など作りました。 でも、砂利浜の最下流ですから、熊野川河口から流れてくる七里御浜の砂利の終点になり港が埋まってしまうのです。 ダムの影響で砂利浜がどんどん痩せているときでも、脇浜の港だけは砂利が堆積したのですが、「潜堤」が完成して砂利浜が太るようになると、浚渫が追いつきません。 それよりも、漁業を取り巻く環境が激変しました。 漁港は漁業あってこそ存在意義があります。 この変化は次に書きます。 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/09/24 06:00:06 AM
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