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JE2LUZ・熊野

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2020/06/11
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カテゴリ:熊野について
この辺は。「牟呂の地」です。
 紀伊半島のほとんどを抱え込む地名です。
 「暖かな土地」・・・「室」の土地だそうです。
 奈良や京都から見れば冬でも暖かな別点ちぃだったのでしょう。
 でも、平地が無く「食料」がタート以内土地だったのでしょうね。
 何しろ、紀伊山地がそのまま海になだれ込む近いですからね。

 和歌山市から始まって荷坂峠、時代によっては多気の辺までを一緒に考えたようです。
 都から近いのに何とも広い範囲を一緒くたに・・・
 そして、人間の力では利用しにくいからか。「神々の郷」にしちゃいました。
 古代から中世では歩く道を作るのの大変だったでしょう。
 熊野古道も古くから作られてきたようですが、「なんで作ったの?」という道ですね。
 「信心」があったから???
 「領地欲」ではやれないでしょう。
 「高野山」「奥吉野」までならわかりますが、「奥熊野・熊野三山」は遠いですよね。
 来世が不安だった「上皇さん」なんてのが次々出たから出来たのでしょうね。
 そんなに、世の中が平和でも無かったのに、都を留守にして・・・
 と、言うより・・・
 そんな調子ですから、世の中の人々は余り救われなかったでしょうね。
 道すがらの民は少しおこぼれに預かったでしょうけどね。



 今は。「ユネスコ・世界文化遺産」に、登録されて知名度も少し上がった居ますが、「紀伊山地の霊場とその参詣道」なんて広い範囲ですから、「歩くのが好きな人」「歴史の好きな人」「暇すぎる人」などしか、回れないですね。
 地元の私でも、ほんの少ししか見て居ませんからね。
 「花の窟神社」「産田神社」「大馬神社」「本宮大社」「速玉大社」「神倉神社」「那智大社」「青眼渡寺」「高野山」「金峯山寺」・・・
 これを信心で歩いた人は居ないでしょうね。
 何しろ、広いし、系列は違うし・・・
 「世界遺産」になる時はそこそこ手を結んでいたようですが、今では「三県サミット」もどうなっているのやら・・・
 コロナ騒動が収まるまで。田舎の施設はがんばれるでしょうか?


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最終更新日  2020/06/11 06:00:06 AM
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