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金次郎t誕生&金次郎とその父、母への誓い


金次郎草鞋を作る&天地の経文を知る


金次郎 観音に祈る 国訳観音経


金次郎 独立を果たす & 青年時代の逸話


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二宮翁夜話 巻の3【1】~【16】


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報徳記


報徳記【1】二宮先生幼時艱難事跡の大略


報徳記巻之一【2】服部家再興【3】抜擢


報徳記巻之一【4】桜町へ【5】復興


報徳記巻之一【6】常人訴ふ【7】成田祈誓


報徳記巻二【1】墾田役夫賞す【2】円蔵教諭


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報徳記巻之二【4】凶年【5】十余年で復興


報徳記巻二【6】無頼善に帰す【7】里正教諭


報徳記巻之二【8】青木邑興復【9】教戒


報徳記巻之三【1】円応面謁【2】菅谷使す


報徳記巻三【3】烏山飢民撫育【4】鮎を贈る


報徳記巻之三【5】先生円応の寂するを歎ず


報徳記巻之三【6】烏山仕法中廃菅谷の放逐


報徳記巻之三【7】宗兵衛先生の教を受ける


報徳記巻之四【1】孫右衛門の家を再復す


報徳記巻四【2】玄順先生に会う【3】教諭


報徳記巻之四【3】先生玄順に忠義を教諭す


報徳記巻之四【4】細川侯復興を依頼


報徳記巻之四【5】玄順命により櫻町に至る


報徳記巻之五【1】先生細川侯の分度を定む


報徳記巻之五【2】細川侯の領邑を再復する


報徳記巻之五【3】細川侯登坂先生道を論ず


報徳記巻之五【4】小田原侯飢民撫育を命ず


報徳記巻之五【5】小田原侯逝去遺言


報徳記巻之五【6】小田原領民に撫育を行ふ


報徳記巻之五【7】先生飢歳当然の道を論ず


報徳記巻之五【8】小田原領中仕法を開業す


報徳記巻之五【9】小田原より野州へ帰る


報徳記巻之五【10】三幣某遂に廃せらる


報徳記巻之五【11】小田原再興の方法中廃す


報徳記巻之六【1】下館良法を先生に依頼す


報徳記巻之六【2】先生下館困難を論ず


報徳記巻之六【3】先生上牧某を教諭す


報徳記巻之六【4】下館の分度を定む


報徳記巻之六【5】下館三邑に発業す


報徳記巻之六【6】相馬藩盛衰之概略


報徳記巻之六【7】一条某桜町に至る


報徳記巻之六【8】草野正辰先生に会い問う


報徳記巻之六【9】相馬藩群臣反対す


報徳記巻之七【1】池田胤直先生に問ふ 


報徳記巻之七【2】相馬の分度を確立す


報徳記巻之七【3】成田坪田に開業す


報徳記巻之七【4】相馬郡村に発業す


報徳記巻之七【5】相馬領風化行はる


報徳記巻之七【6】相馬侯勧農を諭す


報徳記巻之七【7】相馬侯日光に献金す


報徳記巻之七【8】先生印旛沼見分する


報徳記巻之七【9】大生郷良策を献ず


報徳記巻之七【10】先生真岡の陣屋に至る


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報徳記巻之八【2】常州棹ヶ島村外に発業す


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報徳記巻之八【5】先生開墾の實業を行ふ


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2006年01月26日
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 ふる道に つもる木の葉を かきわけて
 天照す神の 足跡を見ん


二宮翁夜話巻之二(小さな資料室長さんより)

六三 翁曰、夫神道は、開闢(カイビヤク)の大道皇国本源の道なり、豊芦原(トヨアシハラ)を、此の如き瑞穂(ミヅホ)の国安国と治(オサ)めたまひし大道なり、此開国の道、則真の神道なり、我(わガ)神道盛(サカ)んに行れてより後にこそ、儒(ジユ)道も仏道も入り来れるなれ、我神道開闢(カイビヤク)の道未(いまダ)盛んならざるの前に、儒仏の道の入り来るべき道理あるべからず、我(わガ)神道、則開闢の大道先(まヅ)行れ、十分に事足るに随(シタガ)ひてより後、世上に六かしき事も出来るなり、其時にこそ、儒も入用、仏も入用なれ、是誠に疑(ウタガ)ひなき道理なり、譬(タトヘ)ば未(いまダ)嫁(ヨメ)のなき時に夫婦喧嘩(ゲンクワ)あるべからず、未(いまダ)子幼少なるに親子喧嘩(ゲンクワ)あるべからず、嫁(ヨメ)有て後に夫婦喧嘩あり、子生長して後に親子喧嘩あるなり、此時に至てこそ、五倫(リン)五常(ジヤウ)も悟道治心も、入用となるなれ、然るを世人此道理に暗(クラ)く、治国治心の道を以て、本元の道とす、是大なる誤(アヤマリ)なり、夫本元の道は開闢の道なる事明なり、予此迷(マヨ)ひを醒(サマ)さん為に「古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん」とよめり、能味(アヂハ)ふべし、大御神の足跡のある処、真の神道なり、世に神道と云ものは、神主の道にして、神の道にはあらず、甚(はなはだシ)きに至ては、巫祝(フシク)の輩(トモガラ)が、神札を配(クバリ)て米銭を乞ふ者をも神道者と云に至れり、神道と云物、豈(アニ)此の如く、卑(イヤシ)き物ならんや、能思ふべし

(現代語訳)
63 尊徳先生は言われた。
「神道は、開闢の大道であり皇国本源の道である。
豊芦原(至るところ葦原であった)を、このような瑞穂(稲穂の美しい)の国、よい国へと治められた大道である。
この開国の道がすなわち真の神道である。
わが神道が盛んに行れてから後になって、儒道も仏道も入り来ったのである。
わが神道が開闢の道いまだ盛んでない前に、儒仏の道が入り来るべき道理はない。
わが神道、すなわち開闢の大道がまず行れ、十分に事が足るようになって後に、世上に難しい事も出てきたのだ。
その時になって、儒道も入用になり、仏も入用になったのだ。
これは誠に疑いのない道理である。
たとえば未だ嫁のない時に夫婦喧嘩あるまい、未だ子が幼少であるのに親子喧嘩はあるまい、嫁が有って後に夫婦喧嘩があり、子が生長して後に親子喧嘩があるのである。
この時に至て、五倫五常(儒教の教え)も悟道治心(仏教の教え)も、入用となるのである。
しかるを世人はこの道理に暗く、治国治心の道を本元の道としている。
これは大いなる誤りである。
本元の道は開闢の道であることは明らかである。
私はこの迷いを醒せるために
「古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん」
と詠んだ。
よくよく味わうべきである。
天照大御神の足跡のあるところが、真の神道である。
世の中で神道というのは、神主の道であって、神の道ではない。
はなはだしいにいたっては、ミコやマジナイのともがらが、神札を配って米や銭を乞う者も神道者というに至っている。
神道というものが、どうしてこのように卑しいものであろうか。
よくよく思わなくてはならない。


六四 綾部の城主九鬼侯、御所蔵の神道の書物十巻、是を見よとて翁に送らる、翁暇なきを以て、封を解き玉はざる事二年、翁一日少しく病あり、予をして此書を開き、病床にて読(ヨマ)しめらる、翁曰、此書の如きは皆神に仕ふる者の道にして、神の道にはあらざるなり、此書の類(ルイ)万巻あるも、国家の用をなさず、夫神道と云物、国家の為、今日上、用なき物ならんや、中庸にも、道は須臾(シバラク)も離(ハナ)るべからず、離るべきは道にあらず、と云り、世上道を説ける書籍、大凡此類(ルイ)なり、此類の書あるも益なく、無きも損(ソン)なきなり、予が歌に「古道に積る木の葉をかき掻(カキ)分けて天照す神のあし跡を見む」とよめり、古道とは皇国固有の大道を云、積(ツモ)る木の葉とは儒仏を始諸子百家の書籍の多きを云、夫皇国固有の大道は、今現に存すれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉の為に蓋(オホハ)れて見えぬなれば、是を見んとするには、此木の葉の如き書籍をかき分けて大御神の御足の跡はいづこにあるぞと、尋(タヅ)ねざれば、真の神道を見る事は出来ざるなり、汝等落積(オチツモ)りたる木の葉に目を付るは、大なる間違(マチガ)ひなり、落積りたる木の葉を掻(カキ)分け捨て、大道を得る事を勤(ツト)めよ、然らざれば、真の大道は、決して得る事はならぬなり 

(現代語訳)
64 綾部の城主の九鬼侯が所蔵されていた神道の書物十巻を「これを見よ」といって尊徳先生に送られた。
先生は暇がないということで、封も解かれないまま二年が過ぎた。
先生が、ある日少し病があり、私にこの書を開かせて、病床で読せられた。
先生はこう言われた。
「この書のようなものは皆神に仕える者の道であって、神の道ではない。
この書の類が何万巻あっても、国家の用をなさない。
神道というものは、国家のため、今日において、用がないものであろうか。
中庸にも、「道はしばらくも離れてはならない。離ることできるのは道ではない」といっている。
世間で道を説く書物は、おおよそこの類である。
この類の書があっても益がなく、無くても損がないものである。
私の歌に「古道に積る木の葉をかき掻(カキ)分けて天照す神のあし跡を見む」と詠んでいる。
「古道」とは皇国固有の大道をいう。
「積る木の葉」とは儒仏を始め諸子百家の書籍が多いことをいう。
皇国固有の大道は、今現に存するけれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉のために覆われて見えなくなっている。
これを見ようとするには、この木の葉のような書籍をかき分けて天照大御神の御足の跡はいずこにあるぞと、尋ねなければ、真の神道を見る事はできない。
汝等も落ち積もった木の葉に目を付るは、大なる間違いである。
落積りたる木の葉をかきわけ捨てて、大道を得ることを勤めよ、
そうでなければ、真の大道は、決して得る事はできないものである。

二宮先生語録
【2】ただ一人山野に生まれて、左右に他の人がなければ、飢えて食らい、渇して飲み、疲れれば眠り、目が覚めれば起き、巣や穴に住んで一身を養うだけで何の欲求もない。
これが天道自然の生活である。
それからして今日得たものを
来年に譲り残すことが始まる。
それが人道である。
天照大神は推譲によって人道を立てられた。
だから茫々たる豊葦原が瑞穂の国となった。
それから後に儒教や仏教の学問も入ってきて、政治教化の助けになったのである。
しかしそのうちにそういう学問がはびこって、ついに天照大神の開国の道を埋め滅すまでになった。
たとえば落ち葉が積もり積もって山道を埋め隠したようなものだ。
残念なことに天祖の道がほとんど滅びて、世にあらわれないことすでに久しいものがある。
私はその落ち葉をかきわけて天照大神開国の足跡を見とどけ、それに基づいて荒地を開き、廃国を興す方法を設けた。
だからいやしくもわが法による以上は、荒廃を開き興すのは何も難しいことはないのだ。






最終更新日  2006年02月02日 05時17分58秒
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