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カテゴリ:二宮尊徳先生故地&観音巡礼
「二宮先生ゆかりの吉野桜を復活させたい」。江戸時代末期に活躍した篤農家二宮尊徳(金次郎)ゆかりの桜が植えられていた桜川市青木地区。青木堰(ぜき)の改修工事で伐採され姿を消したが、地元住民が桜植樹実行委員会を立ち上げ、桜の復活に動き出した。 二宮尊徳は、村民から頼まれて、荒廃していた同地区で農村復興事業を手がけ、青木堰の建設などに尽力した。事業の仕上げとして、桜の名所で知られる奈良県吉野山の桜を植え、以後、集落の住民たちは尊徳ゆかりの桜を大切にしてきたが、昭和30年代に行われた堰の改修工事で伐採されてしまった。 今回の計画は、昨年5月、実行委員長の広沢光一郎さん(71)が、先祖代々伝わる尊徳直筆の手紙の解読を、郷土史家の舘野義久さん(76)に依頼したのがきっかけ。手紙は嘉永5年(1852年)、尊徳が領主の旗本川副氏の家臣荒川泰輔にあてたもの。青木堰が作られた理由や村民同士が協力すること、植えた桜の木を大切にすることなどが書かれていた。 手紙によって桜の存在を知った舘野さんもその後、同年の別の手紙に「青木村桜川の堰付近の桜木は、本邦第一大和国吉野の実生桜にして、雨引山楽法寺(雨引観音)が丹精こめて育成した桜木なり、その実生は高価にして何百文にても得べし」とあるのを文献の中に発見した。 子供の頃、桜の季節になると青木堰周辺が花見でにぎわった記憶のある広沢さんは、尊徳が死ぬまで村の行く末を案じていたことを知り、集落の歴史を後世に伝えるために、吉野桜を復活させたいと思うようになった。住民に話を持ちかけると144人が趣旨に賛同し実行委が発足、約260万円のカンパが集まったという。 一方、吉野桜の譲渡を依頼された財団法人「吉野山保勝会」(奈良県吉野町)も住民の熱意に応え、樹齢1000年以上の吉野白山桜を母種樹とする実生の苗木17本を特別に提供してくれた。 8日には、地元小学生らを招いて吉野桜の植樹と、尊徳の教えを記した「報徳不忘」の記念碑の除幕式が行われる。広沢さんは「青木の現在があるのは過去があるから」と話している。 (2009年3月7日 読売新聞) 昨年「報徳記を読む会」でこの青木堰後を見学に行った。 舘野義久桜川市教育委員会委員長にご案内をいただいて、とても有意義な見学会であった。 その折にこの吉野桜を桜川沿いに植える計画があることを話されていたのである。 桜川の名にふさわしく吉野桜が咲き誇るイメージを描く。 尊徳先生は桜がお好きで会ったのか、箱根でも湯治に来た客に桜くらい見せてやれよと自ら桜の苗木を取り寄せて湯治場の近くの山に植えたという記録が残っている。 青木の堰のあたりが吉野桜で満開でなればきっとにっこりと微笑まれることであろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月07日 16時11分57秒
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