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2009年05月22日
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カテゴリ:尊徳先生の世界
御殿模型(「報徳記を読む会」御殿場見学会)

報徳日めくりカレンダー(報徳学園謹製)より

22日 

神仏儒の三道
いずれも自ら行い
その功徳を譲りほどこすほかなし


「二宮尊徳全集」

「当時行われていた三つの教え(神道・儒教・仏教)の最後のかんじんかなめのことは
自分で勤め(勤)、自分にふさわしい生活をし(倹)、世のためにつくす(譲)勤倹譲の三字につきるというのである。」


日めくりの写真は「『土盛りて木一本を植えればよし』との遺言による尊徳先生墓(今市報徳二宮神社)」

人の為また世のため尽し
     譲れば積もる家の徳
        「大江市松翁道歌」


【古いノートより】

かりの身を元のあるじに貸渡し
 民安かれと願ふこの身ぞ

二宮先生夜話
【10】翁曰く、親の子における、農の田畑に於る、我が道に同じ。
親の子を育つる無頼(ぶらい)となるといへども、養育料をいかんせん。
農の田を作る、凶歳なれば、肥代(こやしだい)も仕付料も皆損なり。
それ、この道を行はんと欲する者はこの理を弁ふべし。
吾始めて、小田原より下野(しもつけ)の物井の陣屋に至る。己(おの)が家を潰して、四千石の興復一途に身を委ねたり。是れ則ちこの道理に基けるなり。
それ、釈氏は、生者必滅の理を悟り、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のごとき道を弘めたり。ただこの一理を悟るのみ。
それ人、生れ出でたる以上は死する事のあるは必定なり。長生きといへども、百年を越ゆるは稀なり、限りのしれたる事なり、 わかじにというもながいきというも、 実は毛弗(もうふつ)の論なり。
たとへばロウソクに大中小あるに同じ、大ロウといへども、火の付きたる以上は、4時間か5時間なるべし。
されば人と生れ出でたるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益なり。
故に本来我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲けなり。
予が歌に
「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」
それこの世は、われ人ともにわづかの間の仮の世なれば、この身は、かりの身なる事明らかなり、元のあるじとは天をいう。このかりの身を我身と思はず、生涯一途に世のため人のためのみを思ひ、国のため天下の為に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免れ富有になり、土地開け道橋整ひ安穏に渡世のできるやうにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざるわがこの身である、といふ心にてよめるなり。
これわれ畢生(ひっせい)の覚悟なり。
わが道を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず。

【10】尊徳先生はおっしゃった。
親が子を育てる、農民が田畑をつくる、私の道と同じである。
親が子を育てる、たとえどうしようもない子どもであっても、養育料を請求したりしようか。農民が田を作る、凶歳であれば、肥料代も仕付料も皆損である。
この道を行おうと欲する者はこの理をわきまえるべきである。
私が始めて、小田原より下野(しもつけ:栃木県)の物井の陣屋に至ったとき、自分の生まれ育った家を潰して、宇津家4000石(ごく)の復興一途に身をゆだねた。
これはすなわちこの道理に基いたのである。
お釈迦様は、生者必滅の理を悟って、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のような仏道を弘めたのだ。
ただこの一理を悟っただけである。
それ人は、生れ出た以上は死ぬことのあることは必定である。
長生きといっても、100歳を越えるものは稀である、限りのしれた事である。
若死にといっても長生きといっても、実はごく僅かの違いである。
たとえばロウソクに大・中・小があるのと同じだ。大のロウソクといっても、火が付いた以上は、4時間か5時間ぐらいであろう。
そうであれば人と生れ出た以上は、必ず死ぬものと覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲けである、一年活きれば一年の益である。
それゆえに本来の自分は身体もないもの、家もないものと覚悟するときは、あとは百事百般皆儲けである。
わたしの歌に
 かりの身を 元のあるじに 貸し渡し 民安かれと 願ふこの身ぞ
この世は、私も人もともにわずかの間の仮の世であるから、この身は、かりの身であることは明らかである。
元のあるじとは天のことをいう。
このかりの身を自分の身であると思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人でも一家でも一村でも、困窮を免れ、富裕にし、土地を開拓し、道や橋を整備し、すべての人々が安穏にこの世を渡ることのできるようにと、それのみを日々の勤めとして、朝夕願い祈って、怠らないわがこの身である、という心で詠んだものである。
これがわたしの畢生(ひっせい)の覚悟である。
わたしの道を行おうと思う者は、知っていなくてはならない。

(報徳教聞書)
【35】天保7申年の凶年にて、駿相(駿河・相模)村々廻村の節、二宮の教諭には、
今日の営みにも差支え候ほどの極難渋人の者これ有り、村々軒別廻り致し候処、実に飢渇に及ぶべしと存じ候ものこれ有り。右様のもの之は取らず敢て施し候節は、人情同じ事にて、泣く事ばかり申出候儀厳しくしかり付け申聞かせ候は、
五十年も六十年も豊作の打続き、難有(ありがたき)事も打忘れ、何の貯えもこれ無く、我がままに酒を呑み、或いは博奕等にても致し、其の外家業にもなき事に月日を送り泰平の難有御恩沢を忘るる故に、壱ヶ年計りの凶年に飢渇に及び候成るは全く心掛けざるのものゆへ、飢え死に致し候て相当のものに候得ども、御領分の内にて壱人飢え死に及び候と申せば、御領主様の御恥と申すべき哉に付き、格別の勘弁を以て御手元金頂戴の内差し遣わし候。以後は急度(きっと)心底取直し、耕作出精致すべし
と其の余身に染み候程叱りつけ、跡にて金子差し遣わし候。
其の訳を能々承り候へば、
申さば作物に手入れ致すに、先づ草を取り、作を切り、其の上にて肥しを用ひ候へば、格別に育ち方宜しく、人も是までの悪習に染み候居る所を振替へ候程に理解申し聞かせ、其の上にて施し申さず候はでは却て害になり、泣く事計り申せば助かるものとおもひ、貧窮人は兎も角も相応に暮し候者へ気配りにも抱り、心得違の出来る物にて、金子貰いたきままに泣く事を申し出る人情出来る譬え也。又富貴に暮すもの之は、其の方は祖先の勤め方にて依りて今日安楽自在に為し暮し候天地の御高徳いくばくか申し上げ難く候。難有(ありがたき)事に存ずべし。当年柄五拾年以来の大凶作にて、雑穀米金等持出し、困窮人■救うべし、平日富貴のもの困窮人沢山これ有故助かり、今日自由自在に暮し、其の恩沢を思うべし、譬へば皆々富貴に暮す時は、誰有りて小作を作るもの歟、或は大根・牛房菜其の外野菜ものとても、皆銘々耕作出精致し、其の余徳を以て今日を営み、富貴ものは、勝手に買請け、何一つ欠けたる事もこれ無く相営み、又遠方とても罷り出で候も、加籠(かご)荷物持つとても同じ富貴もの借■多■惣て残らず富貴なるものにては致し方これ無く、全く泰平を以ての御代の難有今時は金持にて暮し候次第を能々勘考致し、我が暮し向きを引き去り、成るべくだけは困窮人を救ひ候様致すべきもの也。


【35】天保7年の凶年の時、駿河・相模(小田原藩領内)の村々を廻村したおりに、
二宮の教諭には、今日の営みにも差し支えるほどの大変難渋している者があった。村々の家々を回っていて、実に餓死に及ぶような者もあった。このような者には施しを行った。
そのおりは、人情は同じ事で、泣き事ばかりを申し出るので、厳しく叱って言い聞かせた。
『50年も60年も豊作が続いて、ありがたいという事も忘れて、何の貯えも無く、自分勝手に酒を飲んで、あるいはバクチなででもして、その外家業にもない事に月日を送って、泰平のありがたい恩恵を忘れるために、1年ばかりの凶年に飢渇に及ぶようになるのじゃ。全く心掛けなかったのだから、飢え死にしても相当のものではあるけれども、御領分の内で1人でも飢え死にに及んだとなっては、御領主様の御恥であるから、特別の思召しで御手元金を頂戴したうちから差し遣わすのじゃ。以後はきっと心底を入れなおして、耕作に精出すべし』とその体全体にしみるように大声で叱りつけて、その後でお金を遣わした。
二宮にその理由をよくよく聞くと、
「申すならば作物に手入れをするのに、まず草を取って、作を切って、その上でこやしを用いるならば、格別に育ち方がよろしく、人もこれまでの悪習に染まっているところを振り替えるよう道理を説いて聞かせ、その上で施さなくてはかえって害になり、泣く事ばかり申せば助かるものと思い、貧窮人はともかくも、それなりに暮している者への気配りにもかかわり、心得違いの者ができるもので、お金を貰いたいがために泣く事を申し出る人情ができるというわけです。
また富貴に暮す者には、『その方は祖先の勤労によって今日安楽自在に暮しておられるのじゃ。天地の御高徳はどれほどか申し上げがたい。ありがたい事じゃと思うがよい。当年は50年以来の大凶作で、雑穀や米金等を持出して、困窮した人を救うがよい。平日、富貴の者は困窮人がたくさんいるから助って、今日を自由自在に暮している、その恩恵を思うがよい。たとえば皆々富貴に暮す時は、誰が小作を作るものがあるものか。あるいは大根・ゴボウその外の野菜であっても、皆がそれぞれ耕作して働いて、その余徳で今日を営んでおるのじゃ。富貴の者は、勝手に買って、何一つ欠けた事も無く営んで、また遠方から来ては、カゴや荷物を持ってくるのも同じことじゃ。すべての人が残らず富貴なる者ではいたしかたが無い、貧乏人のお蔭で富貴に暮しておられるのじゃ。全く太平の御代のありがたいゆえじゃ。現在、金持で暮しておられる次第をよくよく考えて、自分の暮し向きを引き去って、なるべく困窮人を救ってやるがよい。』

「ツキを呼ぶ魔法の言葉ゴールドラッシュ」マスオさん朗読CDを聞くこと351回

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最終更新日  2009年05月22日 06時22分50秒
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