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カテゴリ:二宮尊徳先生故地&観音巡礼
午後の2時すぎ、新橋を出でて間もあらず覚ゆるを、端書の札を手から手へと伝えて、己が名をそれへ書きつらねなどしつ、くさぐさ話の興に入り、尊徳翁をぬきんでんとおもいまうけましし閣老の要職に在りし大久保忠真侯の詩に
「無雲世界秋三五。共看蟾盤上海涯。直到天頭天蓋処。不曽私照一人家」 (雲無し世界秋三五。共看蟾盤海涯に上る。直に天頭天蓋処に到。曽て私に一人家を照らさず) とあるは、いかに高潔なる理想を歌いしものかなどと味わいつるほどに、一駅又一駅、覚えずすぎて、列車はこの話三昧に耽りける羅漢の一群れを運び、はや平沼駅に着く。 平沼駅は現在存在しない。1901年(明治34年)~1915年(大正4年)に、東海道本線の短絡線上に横浜駅(当時はスイッチバック式)の代替として設けられていた鉄道駅とWikiにはある。 ここで、内務書記官の中川望氏、五十嵐鉱三郎氏が乗ってくる。 そして制服で入ってきたのが有馬典獄である。この日、中川、五十嵐氏は有馬典獄に伴われて横浜感化院を巡視してきたのであった。そして今回の旅の目的の一つは小田原の感化院を慰問することであり、そこで感化更生事業に身を投ぜられていた金原明善翁が感動的な説話をされる。 『大船、大船。逗子鎌倉行きは乗換え』、帽に手をかけ、かすかに笑みて車窓の外に立てるは、岡田良平氏(貴族院議員、前文部次官)。和服にていと身軽るに装い、つと列車に入り、また隣り仕切りの椅子に一人を添えぬ。金原翁と、古橋うしとのほか、和服の人とてはなきに、かくて和服は3人となりぬ。 天下太平、日月清明、五穀成就、万民安泰、山河草木、国土豊かに、一塵動かぬ野の末、山の隈、秋玲瓏の空澄み渡りて、金色の雲、富士のそがひに夕焼けのこる頃、波打ち際の松並木を左りに、汽車はや進行を止めて、国府津(こうづ)駅に下車す。 大船で岡田良平氏が乗ってくる。当時の報徳運動の主要の面々がこうして一同に旅をする、おそらくは留岡氏の差配によるものであろうか。 流麗なる筆で列車の窓越しの風景が描写され、湯本の駅に着くのである。 旅先の宿はいわずとしれた尊徳先生の高弟の一人福住正江の経営する湯本万翠楼である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月30日 16時31分35秒
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