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2011年12月04日
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--【木谷ポルソッタ倶楽部】-----------------<2008/2/4.>----
                
■  世界一遅いマラソン記録  ■
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昨日、大分毎日マラソンが開催された。
大分出身の若者がゴールを切った。
地元のマラソンで、地元の選手が優勝した。嬉しかった。   マラソンというと、感動する話を聞いたことがある。   みなさんは、金栗四三さんという人をご存知だろうか。
うん、戦前の生まれの人ならば、すぐに「マラソンの父」だと言うだろう。   明治44年、金栗さんは翌年に開催される
ストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場した。
当時の世界記録を27分も縮める大記録を出して完走したそうな。   27分も縮めたということに、私しゃあ驚きましたわいな。   金栗さんは三島弥彦さんとともに日本人初のオリンピック選手となった。
金栗さんは明治45年のストックホルムオリンピックのマラソンに参加した。   それで、どうなったかって......ふふふ、話はうまくはいかない。
金栗さんは走っている途中に気分が悪くなり意識を失って倒れたそうな。
マラソンコース近くの農家に運び込まれて介抱されたらしい。   そして、なんと金栗さんが意識を取り戻したのは、翌日の朝であった。
ふふふ、もちろん、マラソンの競技は終わっていた。   金栗さんの無念さは、運動神経オンチの私にも想像できる。   その後、金栗さんは2度のオリンピックに出たり、
箱根駅伝の開催のために尽力し、その功績を讃え、金栗杯が創設されている。   明治、大正、昭和と、いろんなことがあり、時は過ぎていった。
昭和42年、スウェーデンのオリンピック委員会から、金栗さんは突然に招待された。   ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典、
途中棄権をした私がなぜに招待されるのだろう。
金栗さんは恥ずかしい気持ちながらも招待を受けた。   マラソン途中で意識を失って、農家にかつぎこまれた金栗さん、
ストックホルムでは棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず
「競技中にひとりが失踪し行方不明」として扱われていた。   金栗さんがストックホルムに行き競技場に赴くと。
なんとゴール付近には一本の白いテープが張られていた。
スウェーデンの人達にせかれて、金栗さんはテープを切った。   競技場内にアナウンスが高らかにされた。  
「金栗選手、ゴールです。記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3です。
 これは世界一遅いマラソン記録であります。
 以上をもって、第5回ストックホルムオリンピックの全試合が無事に終わりました」
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  木谷 文弘(きたに・ふみひろ)






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最終更新日  2011年12月04日 07時45分23秒
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