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2012年01月26日
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日課縄索の説 遠江 新村里三郎(「報徳」第13号明26年3月P16-17)

本編は森町報徳社社長新村里三郎氏が本年〔明治26年〕1月同社の常集会に於て為したる演説なり。今請ふてここに載録す

余は今此の席に於て日掛(ひがけ)縄索(なわない)の事に(つい)て一言致すの積りなるが、(さて)此の法は吾が先師二宮先生が御在世の節、各地に於て暮方取直しの為め設けられたる法にして本日御集会の諸君は皆吾が報徳社員にして既に充分御承知の事なれば今更(いまさ)ら事々しく演説するの必要もなけれども平常社員外の人々の説く所を聞くに吾々社員が参会と唱へ毎月集会し、彼の縄索の五銭十銭を集金するを()て即ち(おも)へらく、報徳とは月々多少の金銭を積蓄し(これ)を称して報徳金と名づけ無利息にて之を互に貸与して結局金銭の融通をなすに止まるものなりと。此の言や所謂(いわゆる)門外漢たる他人の言とすれば、或は一応(もつとも)の言たるが如しと(いへ)ども、()し社員にして果して(かく)の如き解釈を下し(かつ)(かく)の如き意思を以て吾が社員たる者と仮定すれば実に嘆息に堪へざるなり。

諸君よ諸君は(かく)の如く単簡(かんたん)なる金銭の貸付を以て果して報徳の真意となすか。若し果して然りとすれば遺憾(いかん)ながら報徳は実に無雑作の極と()ふべし。余は生来三十余年間、報徳の社員となり社の為めに犬馬の労を致したる暗劣、余の()にとっては相当の忠誠なりと(ひそ)かに(たの)む所ありたるが若し(かく)の如き無雑作至極の者とすれば余が報徳に属したるの希望も既に全く断絶したり。余は今に於て何とかせん。余は実に既往三十余年間の本社に対する労力の空費を悔ひざるを得ず。

然れども報徳の道、決して(かく)の如き者にあらず。之を大にしては国家の治具となり、之を小にしては斉家(さいか)治身(ちしん)の要訣なり。故に日課(につか)縄索(なわない)を以て(ただ)に蓄積を為す者と云ふべからず。各社員が勤行の余功として成立したる結果ならずんばならず。夫れ既に勤行と称す。其の主趣(しゆし)、社員の徳性を涵養するにあるや明らかなり。(ひそ)かに古先生の教義の在る所を探求するに其の意、(けだ)(ここ)に於て存するか、故に余は事として此の報徳の大道に()るに非ずんば今より断じて力を尽すの意思なしと云ふも敢て余が失言にあらざる()きを信ず。

上前既に説きさる如く日課(につか)縄索(なわない)は各人の徳義を涵養し其の遊惰(ゆうだ)放逸(ほういつ)を防止するの誠意を表明したる者とすれば其の五銭を出したる者は五銭に対して視るべき程の勤行を治めたる者にして若し十銭なるも亦然り。然るを(ただ)積金(つみきん)なり祝儀(しうぎ)なりとすれば、殊更(ことさ)らに此の報徳結社をなさずと雖ども可なれば余は今より此の解社を為すの(まさ)るるに如かざるを知るなり。

諸君よ吾が報徳の真眼より此の僅少の五銭或は十銭金を観察すれば実に僅少にあらず。莫大に(あたい)するの大金なり。何となれば此の金銭は人々の余業余金なるを以て其の出金者に於て(すこ)しも苦痛を帯びたるの痕跡なきなり。仮令(たとへ)ば農家なれば此の金銭は隣田より(まさ)りたるの余業なり。既に公租の延滞せざるを知るに足るべし。父母妻子の飢寒なきを証するに足るの剰金(せいきん)なり。実に嘉祥(かしよう)瑞靄(ずいあい)なる祝意の靉靆(あいたい)〔雲や霞のたなびくさま〕として(ほとば)しるの大金なり。

夫れ吾が報徳の大道、我々後輩の徒ても(ことご)とく実行し能はざる所にして、先師以外に於て未だ他の企及(ききう)()からざる所なりと雖も、諸君と我々が其一端の心得置べきは所謂其の分限に適当したる行事にして、要するに父母妻子に飢寒の憂なきか、公法私徳を害するの行為なきか等の注意が最肝要の一たり。此の背徳行為なく始めて縄索(なわない)の余業の剰生ずるを得るなり。猶ほ之れを再言すれば此の縄索(なわない)は諸君が良国民精勤者たるの事実を表白したるの符節(ふせつ)なり。嗚呼(ああ)報徳の道亦大なる(かな)。」

 

(3) 報本社の設立(「森町史」)

明治28年(1895)10月11日、養父新村里助の跡を継いでいた森町報徳社社長新村里三郎は遠江国報徳社を退社した。遠江国報徳社は、同日里三郎に対し次のような抗議および要請文を与えている。

「貴殿義我見を固執し、社員を誘惑して分離を企て、退社届出の儀は、すこぶる徳義に背戻するの挙動と認め、州立社員退社を命じ候については、爾今以後報徳の名を唱うるを許さず、また他に向いて報徳結社の誘導を為すを許さず、この旨申し進じ候なり。」

また、同様の内容であるが、同日付けで次のような文も残されている。

「貴殿義我見を主張し、本社の指揮を拒み、社員を誘惑して町村社の分離を企て本社に妨害を加うる少なからざるを以て、州立社員退社を命ず」

里三郎に対し、社員を誘惑し分離を企てたと厳しく糾弾し除名にしているが、里三郎はこの間の事情を同年12月27日付けで以下のように記している。

「明治28年3月6日、我が報徳社の無利足金取扱の良法を、遠江国報徳社第二館詰副社長より本社の方法5分利付に変更致すべきの御指示に相成り、これに応ずる能わざる次第、父豊作故名以来先師の御良法慕うこと久し、漸く小田原社へ先師より御授けに相成たる御良法と、同社社長福山翁を自宅へ御招請致し、御伝習を受け、今勤行の央に至らず、故によりどころ無く遠江報徳社を退社せんとし、届書と共にこの一通を贈り越され、往年の紀念として表彰す」

 里三郎は、分離の理由を遠江国報徳社が「無利足金」貸付を廃止し、「5分利付」に変更したからだとしている。里三郎らは、福山滝助の指導を受けて以来、報徳金(無利息金)貸付こそ仕法と考えており、その点での矛盾が顕在化したのである。里三郎は、同志とともに遠江国報徳社を退社し、同志の報徳社28社を糾合して、1895年11月18日森町に遠江国報徳報本社を設立した。社則が議定され、役員の選挙が行われ、社員に新村里三郎、副社長に多米八郎、幹事に原田長三郎、松田陸平、村松広太郎ほか4人が選出された。発会式は、翌96年2月22日近藤周智郡長や堀森町警察署長などを迎え社員740余人の出席のもと盛大に行われた。」






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最終更新日  2012年01月26日 07時18分13秒



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