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2012年01月27日
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(4) 報本社史(山中眞喜夫編集)抜粋
  発刊にあたって
 明治維新前から二宮尊徳大翁のご教導の下、安居院・新村両翁を初め先輩各翁は、遠州一円をはじめ州外まで、貧苦の大改造に東奔西走されました。そして、業績豊かな報本社連合会をつくり上げました。
(以下、私(大塲 靖氏)こと報徳の家に生まれ、幼少より中学校卒業まで、天・地・人・万物の徳に報いる人の道を徹底的に教育されて成人した。そして挙国戦時体制下に、中国大陸に出征した。一般市民には人と人との交わり、互い誠心で、報徳人としての信念であたり、復員兵引き揚げや居留民移送の鉄道警備にあたった。医務室では市民の病苦にも対応した。最後に復員するとき、中国人民軍から「謝々」と感謝され、全員復員を完了できた。これも報徳に努力したことが生かされた旨を述べられる。)
 しかしながら、報本社理事当番を10か年以上勤めながら、いかに時代の流れとは申せ、今回の解散は返す返すも無念の至りに存じます。時の当番として至らず、心底から深謝いたします。80有余年の苦楽も得難い体験として、これを糧に後世代に一人でも多くわかってもらえるよう、生ある限り頑張る所存でございます。なにとぞ同志の皆様、昨今高く要望されてまいりました徳に報ゆる人の間の再開発に、ご奮闘を祈念申し上げまして、お詫びの言葉といたします。
 最後に、本誌発刊のいきさつについて触れてみたいと思います。実は報本社解散に際して、報本社の歩みを社誌として末永く伝えていくことが、理事会で決まりました。そして社誌の執筆・編集事務を元報本社講師の山中眞喜夫氏に委ねました。
 このたび、氏の労作により、「報本社誌」を刊行することができました。同志としてこの本を座右に置き活用していただければ幸いです。
 平成18年11月 元報本社理事 大塲 靖

目次 

口絵
発刊にあたって
報本社の沿革の概要
報本社関連年表
報本社の設立と歩み
報本社歴代社長
報本社文書の概要
単位報徳社からよりの寄稿
資料
 報本社土台金取調帳より(大正5年12月)、報本社会合日誌(昭和5年)
 昭和11年度事業報告 報本社、皇紀2600年紀念事業報徳史資料報告書
 報本社会合日誌(昭和20年)、平成元年度報本社常会報告
 報徳訓(報本社蔵版木によるもの 付・読み下し文)、噫々二宮金次郎
 報本社定款(明治22年9月決議のもの)
あとがき

報本社の沿革の概要 嘉永5年(1852)2月、二宮尊徳の門人安居院(あぐい)義道〔庄七〕および岡田佐平治の指導により、森町の山中里助(新村里助)が森町報徳社を創立した。この時点では「森町報徳社」という名称はこの使われておらず、同志10人たらずの組織で、毎月3日、13日、23日の夕飯後参会していた。これがのちに報本社へと発展していくことになる。
 嘉永5年(1852)8月10日、遠州30余社の報徳社員の代表として、のちの「遠州報徳7人衆」といわれた同志、影森村内田啓助、気賀町竹田兵左衛門・松井藤太夫、森町山中里助・中村常蔵、倉真村岡田佐平治の7人で倉真を出発、途中、相州(神奈川県)から安居院義道〔庄七〕の同行を乞うて、日光神領の宿舎桜秀坊に二宮尊徳を訪ねた。9月4日から14日まで11日間滞在、このとき尊徳は病臥中だったが、13日には引見を許され、尊徳の直接指導と遠州30余社の結社の允許(許可)を得ることができた。一行は滞在中に、報徳の原典ともいうべき仕法書(趣法書)等の写本を精力的に行い、それぞれ持ち帰っている。一行の日光訪問をきかけとして、県下に報徳の隆盛をもたらすことになった。
 安政3年(1856)10月20日、二宮尊徳死亡(70歳)。
 万延元年(1860)、遠州報徳社大参会が、はじめて浜松の玄忠寺で行われた(安居院主宰)。このころ、遠州地方に報徳社が次々と結成された。
 安居院の報徳の特徴は、結社ということのほかに、上方の進んだ農業技術を伝えたり、「元値商い」の商法を広めたことにある。森の新村報徳店(報徳商いの模範)、安居院の著作「報徳作大益細伝記」による水稲苗の正条植えは、まず遠州地方に普及し、やがて全国に奨励されていった。
 文久3年(1863)8月13日、安居院義道庄七浜松で病死(75歳)。
 慶応3年(1867)、師を失い報徳運動が衰退しはじめたころ、遠州の報徳人たちは新たな師を求めることになった。その結果、小田原報徳社の福山滝助(小田原報徳社中興の祖)を迎えることができた。力強い指導者を得て、同年5月には無利息貸付の趣法を確立し、同志11名を以て森町報徳社を結成(再興)した(森町報徳社最初の「三才報徳現量鏡」。)新村里助社長となる。
 明治4年(1871)、福山滝助の指導により山田村(現袋井市)に遠譲社(本社)設立。20余社を統轄。森町報徳社も遠譲社の支社となる。新村里助は(重世話人)として報徳金無利息貸付法の実施により、家政はもちろん難村の復興に力を注いだ。
 明治8年(1875)11月、遠江国報徳社設立。のちの大日本報徳社の母体。森町報徳社など遠譲社所属社は、遠江国報徳社にも所属することになった。遠江国報徳社の社長は岡田佐平治、副社長は新村里助(豊作)、浜松町小野江善六、深見村伊藤七郎平、下右田村神谷与平治、気賀町鈴木得三郎、幹事は神谷喜源治、名倉太郎馬、伊藤七郎平、小野江善六、新村里三郎(里助の養子)が選任された(七郎平と善六は里助の実弟)。
 明治9年(1876)4月、遠江国報徳社社長岡田佐平治病弱につき辞任、長男の岡田良一郎が社長となる。明治11年(1878)3月3日、岡田佐平治死亡(67歳)。
 明治12年(1879)、遠譲社、遠江国報徳社から分離する。森町報徳社など10社は遠譲社を離脱し、遠江国報徳社の所属社となる。同年9月、新村里助(豊作)死亡(64歳)。新村里三郎が森町報徳社の社長となる。里三郎は周智郡有志と計り、10月遠江国報徳社社則に基づき、周智報徳社を組織して会長となる。毎月、森町随松院で社会(常会)を開く。
 明治13年(1880)、遠江国報徳社より新村里三郎に周智郡内取締を嘱託。明治18年(1885)7月、遠江国報徳社社名変更、「州立遠江国報徳社」となる。
 明治26年(1893)、森町報徳社報徳館落成。のち報本社へ譲渡。同年、福山滝助旅先で病死(75歳)。
 明治28年(1895)、報徳報本社は民法施行に伴い、公益社団法人認可申請の手続きをとり、8月24日、内務大臣西郷従道により許可された。これに準じて所属の単位報徳社も随時認可を申請し、公益社団法人となっていった。9月には報本社定款が制定され、専務理事社長に新村里三郎が選ばれた。
 明治38年(1905)5月7日、新村里三郎死亡(60歳)。次のような社員総代の「哀辞」が報本社に残されている。
   哀辞
 本社長新村里三郎君、人に接する篤実、事を行う果敢、つとに二宮先師の違法にいたがい勤倹をすすめ、推譲を教え、社員を指導する、ここに数10年、その間荒郷を富まし、家法を立て、世を済い、人を助くる、けだし少なしとせず。而して今や俄に病をもって逝く。嗚呼哀れかな。
 明治38年5月10日     報本社社員総代 岡本啓太郎(報本社所蔵)

(略)

昭和後半から平成年代に至り、時代の流れに抗しきれず、つぎつぎに単位社の九社・退社が進み、報本社としての事業運営も至難となってきた。平成10年以降、特に事態が深刻化し、理事の苦慮も限界に達し、各種会議などを通してこれが対策を協議し続けてきた。その結果、止むなく平成13年(2001)12月10日、報本社通常総会において、報本社解散が議決され、清算人も選出された。同日、解散記念式も行われ、遂に報本社100有余年の幕は閉じた。


   趣意書
 今般、社団法人報本社は、明治31年9月、内務省令に依り法人認可を受け、初代新村社長翁、諸先輩諸翁が道徳・経済の両輪を以て、時代に即した郷土地域の産業並びに道徳の振興に渾身の努力と実践を積み重ねられ、以来百有余年にわたり輝かしい業績を上げられてまいりました。
 平成年代に至り、目覚ましい経済成長、産業構造の大きな変革の時となりました。しかしながら人の道と万物の徳に報いる道徳理念は薄れ、無念に考えるこの秋、現世の私達の努力不足と後継者育成の能力不足により、時代の流れには抗しきれず、次々に各単位社の離反により、定款で示される事業運営至難となり、断腸のおもいですが、春の総会で解散への議決がされました。
 つきましては、先輩諸翁の一銭一厘の蓄財の一部を仕法推譲いたしたく、よろしく社会福祉、生涯教育事業に些少ですが、ご活用賜りますよう願いあげます。
 私達も生きている限り、斯道振興に最善の努力をし、実践することをお誓いし、今後ともよろしくお導きくださいますようお願い申し上げます。
  平成13年11月吉日
 社団法人報本社 理事社長 大塲 靖」

 

補注静岡県報徳社事蹟 おわり






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最終更新日  2012年01月27日 05時53分47秒



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