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カテゴリ:広井勇&八田與一
ボーイズ・ビー・アンビシャス は 当初、シリーズとして続くことは構想していなかった。 米欧留学篇までできればよいなと思っていたが、現在第5集になる。 そしてその続きをボーイズ・ビー・アンビシャス自体が促す。 内村鑑三の「非戦論」をまとめなければならないと。 それこそが 日本国憲法第9条の真の土台石にほかならないと。 プロローグ 「二宮尊徳の会」では、平成二十二年(2010)に「日本近代製糖業の父・台湾製糖株式会社初代社長 鈴木藤三郎」、平成二十三年(2011)に「報徳産業革命の人 報徳社徒鈴木藤三郎の一生」を出版した。 鈴木藤三郎の足跡を求めて、台湾の高雄にある台湾製糖会社と工場跡も訪問した。現在でこそ日本で産業遺跡は注目されつつあるが、台湾では当時の巨大な製糖工場をそのまま保存していることに驚かされた。また、現地の糖業博物館では児玉台湾総督、後藤新平、新渡戸稲造と並んで日本では忘れられている―当時は砂糖王・発明王と呼ばれた―鈴木藤三郎が、共に顕彰されていることに深い感銘を受けた。藤三郎が製糖会社の従業員の安全を祈って建立した観音菩薩像は、「黒銅百年守護聖観音」として今でも大事にされ、盛大なお祭りまであることに感動した。 台湾における鈴木藤三郎を調べるうち、台湾の人々から敬愛されている日本の土木技師八田與一を知った。烏頭山ダムを造り、広大な台南の荒地を豊かな穀倉地帯とした。現地の人々を大事にし、現在も敬愛を受けるその人と事業の高貴性(ノブレス)に関心を抱いて調べるとそれは東京帝国大学工学部時代の恩師広井勇教授に由来するように思われた。広井の教え子の一人、青山士(あきら)は、パナマ運河建設に従事した。青山は信濃川の大河津分水路の堰修復後に記念碑を建てた。碑には「人類ノ為メ国ノ為メ」と刻んである。広井勇は札幌農学校の出身で、内村鑑三・新渡戸稲造と同じ第二期生である。 内村鑑三といえば、「代表的日本人」で二宮尊徳を「農業聖人」として世界に紹介し、「後世への最大遺物」では、「この人は事業の贈物にあらずして生涯の贈物を遺した」と評価している。「予が見たる二宮尊徳翁」(資料1p65-8)は青山士も生涯愛読した。内村鑑三はおそらく二宮尊徳を最も深く理解した「日本の生んだ天才の一人」(宮部金吾の言葉)である。 また、鈴木藤三郎の良き理解者であった留岡幸助は新島襄創立の同志社で学んだクリスチャンである。藤三郎が日本醤油会社社長を退いた時、「英国のクロムウェルは、多年奸雄と定まっていたが、カーライルが出て、その雄勁な筆をふるって、クロムウェルは千古の大忠臣で、真に国家のためにその身の毀誉をかえりみなかったと名誉回復した」と励ました。 イギリスのピューリタニズムは、ピルグリム・ファーザーズによってアメリカのニュー・イングランドに伝わり、そのキリスト教はアマスト大学に学んだ新島襄により日本にもたらされ、同じくアマスト大出身のクラークによって札幌農学校に移植された。そして、このピューリタニズムは報徳思想とその道徳性の高さにおいて共鳴している。そのことは内村鑑三の二宮尊徳理解や留岡幸助が藤三郎に同志的に共感していることにおいてもみることができる。 さらに藤三郎が台湾製糖株式会社初代社長として創業したとき、新渡戸稲造は台湾総督府糖務局長として台湾の糖業政策を立案し実施した。政策と実業二つがあいまって台湾の製糖事業は成功したのだ。 私は、まず札幌農学校の内村鑑三・新渡戸稲造を中心とした二期生の交流(手紙等)を、カーライルの「クロムウェルの手紙と演説」にならい編年体で編集し、またその内容の理解を図るためコラムを作成し収録した。本書はそのコラムと資料の抜粋集である。札幌三人組の相互と広井勇の手紙の原文はほとんど全て英文で書かれている。当時の札幌農学校の教育のレベルの高さがうかがわれる。同時にキリスト教的な友愛は、当時の日本語では表現しづらかったのかもしれない。内村鑑三はこうした英文による、日本人の中でその量と質において傑出した高さを誇る膨大な手紙を書く中で、自らの考えを作り上げたように思われる。内村鑑三は、宮沢賢治とともに、近代日本語(日本語に高貴性をもたらした)の創出にも大きく寄与している。本書は、クラークが札幌農学校にもたらしたクラーク精神と札幌三人組と広井勇(米国留学まで)に区分して述べる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年11月21日 21時00分54秒
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