全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:イマジン
<歴史>「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級
4/4(水) 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(15年)の詳細な陣形を記録した最古級、最大級の陣図が見つかった、と広島県立歴史博物館(福山市)が4日、発表した。大阪歴史博物館(大阪市中央区)は「主戦場だった城外の部隊配置まで詳しく示された陣図は過去に例がなく、戦いの様子を知る重要な史料といえる」としている。 冬の陣図(4枚組み)は、中心の1枚(縦1.89メートル、横1.15メートル)に大坂城の本丸から茶臼山付近まで、3枚には城外で戦いに加わった大名などの配置が記録され、全体で2.5メートル四方の大きさ。 夏の陣図は1枚(縦1.89メートル、横1.15メートル)で、冬の陣の中心図と対になる構成。 冬の陣では、豊臣方が周辺に築いた多くのとりでが戦場となり、徳川方は更に後方にも部隊を配置したため、広範囲を描いた大型の陣図になったとみられる。堀が埋め立てられた後の夏の陣は、城周辺が戦場となり、陣図は城の中心図1枚に収まったと考えられる。 大阪歴史博物館によると、描き方の特徴や記された地名から作製時期は江戸前期の17世紀後半と推定され、二つの戦いを描いた絵図としては最古。親藩または譜代大名のお抱え絵師「絵図方(えずかた)」が、幕府に提出する公式な記録として描いた可能性があるという。 陣図には徳川方、豊臣方それぞれの武将の名が記されているが、家康ら徳川方の一部の武将の名は貼り付けられた付箋の裏側に記載されていた。この理由について、県立歴史博物館学芸課の久下実・主任学芸員は「家康らの名前を他の武将と同列に書くと失礼に当たると考えたのではないか」とみている。 陣図は同県福山市出身の古地図収集家、守屋寿さん(東京都)が収集し、県立歴史博物館に寄託した1000点を超えるコレクションの一つで、博物館が調査していた。7~9月に一般公開される。【李英浩】 明智光秀 密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ 毎日新聞2017年9月12日 本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年04月04日 19時26分38秒
[イマジン] カテゴリの最新記事
|