今日は参加者が多い。デモの列で数えると65人もいた。先週が40人だったので、だいぶ賑やかな雰囲気になっている。先週の日曜デモ当日は、宮城県議会選挙だった。選挙に関わっていた人たちがデモに戻ってきたのだ。
150回を超える脱原発みやぎ金曜デモの常連の3人、角野達也さんは仙台市太白選挙区で、大内真理さんは宮城野選挙区で、中島廉さんは泉区で、それぞれ新人候補として挑戦して3人とも当選した。3人とも脱原発を明確に主張してきた共産党から立候補したのである。その3人とも、今日はデモに加わっている。
原発関連で言えば、指定廃棄物最終処分場建設問題で揺れている加美選挙区で建設反対を強く訴えた高橋啓さん(無所属)が自民党現職を破って初当選したことも特筆されていい。高橋さんは、加美町総務課長として建設反対に先頭に立つ猪股洋文加美町長を支えてきた人だという。
明らかに、国民の過半数が原発に反対している流れが選挙に反映されたと考えていいだろうし、選挙に勝つには脱原発でなければ無理だよと大きな声で言いたいところだが、やはりもう一つ、国民の大半が反対する戦争法制の問題も大きかった。ともに国家レベルの争点であるにもかかわらず、地方自治体選挙において、その2つの争点が相乗してはっきりした国民の意思表示として顕在化したのだ。
戦争法制廃止、脱原発のこの流れが、次なる参院選、衆院選という国政選挙につながっていくことを願うばかりである。
集会@勾当台公園。(2015/10/30 18:16、18、18)
フリー・トーク。(2015/10/30 18:14~28)
すっかり暗くなった午後6時、ステージのライトと脱原発カーのヘッドライトの光の中で集会は始まった。
主催者挨拶の後に、初めて参加された(たぶん)人が、青森市で開かれる「2015年 反核燃 秋の共同行動」の告知をした。「個人の自発的な考えで」告知をすると断りながら、11月8日(日)11:30~15:00にワ・ラッセ1F交流学習室で開かれる集会と15:10からのデモの案内を話された。反核燃を訴えて本年6月の青森県知事選に立候補された医師の大竹進さんが基調講演を行なう。
デモへ準備。(2015/10/30 18:33、34)
一番町へ。(2015/10/30 18:41、47)
デモへ出発するために公園で隊列を整えると、最後部は街灯に照らされているが、先頭はずっと薄暗い中にいる。歩き出すと、人びとはいったん闇をくぐって行くようである。
県庁前の道に出ても勾当台通りを渡るまでは、車列のライトに助けられなければ、動いている人間たちをカメラはうまく切り取れない。デモを見送る位置から定禅寺通りを越えて行く列を見ると、一番町は光り輝いているようだ。しかし、一番町に入ってしまえば、ごく普通の商店街の照明に思えて、とくに明るいと感じなくなる。
一番町に入って。(2015/10/30 18:51~52)
デモの写真を撮っていると、参加しているすべての人の写真をきちんと撮りたいと思う。しかし、あまり写真に写りたくない人もいるだろうとも思う逡巡もあって、なにかいつも中途半端な気分で撮している。
たくさん写真を撮ってもそれをどうするかという問題もある。このブログには容量制限があって、1日で100kBの写真20枚がせいぜいなのだ。1回のデモのブログに何日もかけるのは、私の時間事情が許さない。結局、なんとなく漫然と折り合いをつけているだけなのだ。
広瀬通りを横断。一番町。 (2015/10/30 18:56)
今日も元気で。 (2015/10/30 18:48~19:01)
一番町2ブロック目。(2015/10/30 18:56~57)
広瀬通りを越えると、全面のアーケードに光が反射するせいか、もう少し明るさが増す。そのアーケードにコールの声が反射するせいばかりではなく、今日のコールはとても元気がある。
張りのある声で、若い女性が交互にコーラーを担当している。参加者には、私のような高齢の人間もかなり多いのだが、元気なコールに煽られて大きな声を出していて、どことなく楽しそうだ。
こんなところでも、若い人も老いた人も一緒に暮らせる世の中が生きやすく楽しいのだ、なんて考えてしまう。介護施設と保育所を併設するというニュースにほっこりするのもそのせいだ。老人の多い旧市街の古い建物に大学が入っていて、日溜りに集まる老人の間を学生が闊歩するヨーロッパの古都市が羨ましいと思うのもそのせいだ。郊外に大学を移転するなんて……
青葉通り(東二番丁交差点)。(2015/10/30 19:08)
広い東二番町通りを渡るデモの列の長さが、気持ちよくカメラのフレームに納まるのを確認すると、私のデモはまもなく終りである。
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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)