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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.09.10
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 

 とても細くしなやかな一本の白髪を摘まみあげたとき、ふっと時間が止まってしまったような感覚に陥った。7センチほどの長さで、鋏で切られた跡がない。女性のものだろう。
 さて、この白髪をどうしよう。すこし戸惑っている自分に気づいたが、どうもこうもなく、ゆっくりと屑籠に捨てた。

 水曜日の午後、市立図書館から借りだした本の中に『現代短歌全集 第17巻』があった。〈かわたれどきの頁繰り〉として、木曜日の早朝4時ころ、その本の頁を繰っていた。180頁を開いたら、島田修二の歌に付けられたかぼそい付箋のようにその白髪はあった。

歌ひつづけ歩みつづけて来しからに帰りなんいざ無韻の里へ [1]

 何の根拠もないのだが、この白髪の女性も長い人生を「歌ひつづけ歩みつづけて来」た歌詠み人だったにちがいないと思ってしまったのだった。私は歌詠みではないので、「無韻の里」へ帰りたいと願う心をそのまますんなりと理解できるわけではないが、必死で生きてきた人生からまた別の人生へと願ったことはある
 ただの偶然にすぎないことを、こんなふうに記してしまうと、なにかそれなりの感傷が生まれたような気分になってしまうが、じっさいはそのあいだ空白の感情のまま過ぎていたようにしか思えない。空白の感情というのは、つまりはうまく表現できる言葉が見つからないということでもある。
 白髪によって誘われた短い時間の感傷を離れ、再び頁を繰っていると、冬道麻子の章で次のような歌を見つけた。

此の世にてめぐりあうべき人がまだいる心地して粥すすりおり [2]

 もしかしたら、私のなかにもこんな若々しいロマンチシズムがかろうじて生き残っていて、あの一本の白髪を眺めていたのだろうかなどと一度は思い、いや、そんなことはあるはずもないと否定してみたり……。 その答えなど打ち捨てるように本を閉じ、犬と散歩に出かけた。窓の外はとっくに明るくなっていて、予定時間を過ぎて犬は1時間以上も待たされていた。






肴町公園。(2016/9/9 18:10~18:31)

 肴町公園はとても近い。元鍛冶丁公園と同じくらいで、私としてはとても助かると言いたかったところだが、いつものと同じように家を出て少しばかり時間を持て余した。それで、西公園に入って猫の集会に参加して時間を潰した。

 その公園猫の中によく似た3匹の兄弟(姉妹)猫がいる。その3匹が生まれたばかりの時、犬連れの私にいっせいに駆け寄ってきて母猫にえらく叱られたことがある。公園を通り抜けるときにいつもやるように、あれとあれとあれ、今日も3匹を確認する。
 猫の集会の後は、人間の集会である。西公園から肴町公園に移動するが、人影はそんなに多くない。定時を8分ほど過ぎて主催者の挨拶が始まったが、そのころにはだいぶ人が増えていて、「なんだかんだ言っても40人は必ず集まるんですよね」と常連の一人が話しかけてくる。

 「人が変わっても40人になるのはちょっと不思議な感じ」などと話していたが、今日は50人まで参加者が増えていた。こういう微妙な機制を理解するのはちょっと難しい。

 

  主催者挨拶は、新潟県知事が次期の知事選出馬を見送った話である。泉田知事は、2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の対策室の扉が開閉できなくなる事故を受けて、東京電力に免震棟の設置を強く要望し、柏崎刈羽や福島第1原発の免震棟を設置させた。
 もし免震棟がなかったら、福島事故はさらに想像を絶するほどの被害になっただろうと言われている。さらに、泉田知事は福島の事故原因の解明なくして再稼働はありえないと強く東電を批判し続けている。

 いわば私たちのように脱原発を訴える人々にとっては泉田知事はとても頼りがいのある政治家の一人なのである。ということは、原発推進勢力にとっては見過ごせない人物で、出馬断念の一因とされる新潟の地方新聞の一方的な知事批判報道は原発推進勢力の反撃の一つとする見方が大勢を占めている。
 現在は、泉田知事出馬へ再考を促す署名活動も始まっている(私も署名した)ことや、万が一の場合の反原発派候補の擁立の模索が始まったことなどのニュースになっている。

 政府は、原発の廃炉や福島事故の賠償を進めるために、新電力にも費用負担を求める方向で調整に入ったというニュースについてのスピーチもあった。新電力への利用者の移行が増えれば、廃炉や事故の賠償に架かる巨費をまかなえなくなるおそれがあるためだという。
 このニュースは、政府自身が廃炉や廃棄物処理の費用まで含めると原発による発電コストが異常に高いことを自ら認めたことを意味している。これまでのコスト計算が虚偽であったことの自白である。政府自身は負への道を歩もうとしているにもかかわらず、原発から撤退することが、社会的・経済的にもっとも合理的な判断であることを政府自らが道筋として明示しているのである。

 新電力ではないが、関西電力が仙台港の建設している石炭火力発電所の問題についてのスピーチでは、地方で発電し中央へ送電するという構図が原発と同様、火力発電所も国家の差別構造に組み込まれていること、この火力発電所は環境アセスも全く不十分なまま強引に進められているという指摘がなされた。原発ばかりではなく、発電をめぐる社会構造にも目を向ける必要があるということだ。





肴町公園から一番町へ。(2016/9/9 18:36~18:43)

 今日のデモコースは、肴町公園からまっすぐ一番町に出て、一番町を広瀬通りまで北上する。錦町公園や勾当台公園、元鍛冶丁公園から出発する時とは一番町を歩く方向は逆になっている。
 定禅寺通りまで北上して、晩翠通りを廻って肴町公園まで戻ってくるコースをとることもあるが、これは意外と時間がかかる。今日は、広瀬通りから晩翠通りに出て公園まで戻るのだが、こっちだと時間が短すぎる。ちょうどいい加減の距離が選べないのだ。







一番町。(2016/9/9 18:44~18:46)

 今日のコースでは、一番町を歩く距離はとても短い。つまり明るい道はとても短いということなので、短時間で多くの写真を撮らなくてはならないのである。私の腕では、一番町を外れた道の明るさ(暗さ)で写す写真はあてにできないからである。
 そうでなくても、昨日カメラの設定をいろいろといじったせいで、公園の暗さではシャッター速度が異常に遅くなってしまって集会の初めのころの写真を台無しにしてしまったのだ。設定し直したが、まだどこかに不都合があってその後も思うようには写ってはいないのだった。
 夜の写真をうまく撮ろうと設定をいじったのだったが、裏目に出てしまった。





広瀬通り。(2016/9/9 18:53~18:54)

 広瀬通り、晩翠通りへと進むにつれて、夜は深くなる。コールの声が雑音にまぎれず、だんだんに明瞭になってくる。そう思うと、コールというのは街の喧騒との闘いのようで、喧騒の中でこそ意味があるということなのだとわかる。雑踏の喧騒の中で、遠くでは聞き取れないかもしれないときにコールは最大の意味を発揮するのである。


晩翠通りから肴町公園の路地へ。(2016/9/9 18:59~19:00)

[1] 島田修二「渚の日々」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年) p. 181。
[2] 冬道麻子「杜の向こう」同上、p. 428。
 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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ブリコラージュ@川内川前叢茅





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Last updated  2017.03.19 17:26:40
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